2016年1月5日火曜日
松下カロ『女神たち神馬たち少女たち』(深夜叢書社)・・・
松下カロは1954年東京都生まれ。ロシア美術専攻だけあって、その主要な批評には、美術との対比によって論が展開される。かつて愚生が「俳句界」編集部にいたころ、その執筆者を選ぶについて推奨した記憶もある(その頃、俳句界評論賞の応募や俳誌「らん」などに中村苑子論を展開していたと思う。本著には収載誌の初出がでていないのが、少し残念)。「考幻学的俳人論」とした帯文は齋藤愼爾。
収載された論のなかでは「弱者の言葉」坪内稔典論、「暴力としての言葉」桑原三郎論、「カンディンスキーのいる言葉」関悦史論などに特に魅かれた。例えば次の件など出色、
坪内稔典における俳句も、ウォ―ホルのシルクスクリーンと同質のオープンな媒体として機能している。河馬は諸々の言葉と共存しているが関係しない。坪内は河馬に何も負荷しないからだ。その結果、読者は河馬に、自分が見たいものを見るとができる。ウォ―ホルのマリリンを観る者が、個々のマリリン像をそこに重ねるように。
周知の人物像を、ディテールの操作のみで重写するウォ―ホルの手法と、各々の述懐に河馬のレッテルを貼りつける坪内の方法には〈既成グッズの汎用〉の共通根がある。加えて作品の持つ一種の猥雑性、〈創造〉の概念を一変させた立ち位置の接近は、美術や言語がサブカルチャー化しなければ生き延びられなかった時代要請の先取とも見える。
河馬は方法への模索が生んだロジックであると共に、坪内が持ち続けている少年時代のはにかみ、関係性に対する純な怖れが、その感じ易さのために発掘され難かった鋭い造語感覚に触れた際に出現した〈弱者のロゴ〉である。心優しい河馬を前に、我々は弱者としての自己を肯定し、もう一人の弱者である他者を受容する。
紹介の最後に論に引用された河馬の句を挙げておこう。
みんなして春の河馬まで行きましょう 『猫の木』
秋の夜はひじき煮なさい河馬も来る
遠巻きに胃を病む人ら夏の河馬
河馬になる老人が好き秋日和
今は昔口開けている秋の河馬
風呂敷をはい出て燃える春の河馬 『わが町』
河馬燃えるおから煎(い)る日を遠巻きに
水中の河馬が燃えます牡丹雪 『落花落日』
恋情が河馬になるころ桜散る
春を寝る破れかぶれのように河馬
桜散るあなたも河馬になりなさい
河馬へ行くその道々の風車 『百年の家』
秋風に口あけている河馬夫婦 『人麻呂の手紙』
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