2017年4月26日水曜日
三橋鷹女「金銀の花ちる水を飼ひ殺し」(『鷹女への旅』より)・・
三宅やよい『鷹女への旅』(創風社出版)「あとがき」によると、
「鷹女への旅」は「船団」64号(二〇〇五年)から79号(二〇〇八年)まで十五回にわたって掲載した内容をリライトしたものです。
という。三橋鷹女評伝としては欠かせない、出色の一本というところか。資料の渉猟、遺族への取材、インタビューも丁寧に行われている。とりわけ、後半の鷹女句集『羊歯地獄』『橅』の周辺と句の評価をめぐる筆致は、鷹女をよくとらえて放さない。最後に三宅やよいが「私の『鷹女への旅』もこれで終了する」と締めくくったあたりは、やよい自身が鷹女の俳句形式に対した飽くなき想いを、なだめきれないかもしれないと感じたのではなかろうかと、愚生に錯覚させもする。
『羊歯地獄』の句「饐えた臓腑のあかい帆を張り 凩海峡」については以下のように記している。
描き出された「海峡」の句を読み返すと一句、一句がシュールレアリズムの映画のショットのように感じられる。それは今まで誰も描くことのできなかった光景であるとともに覗き見たとたん目をそらしたくなるグロテスクなものである。今まで誰がこんな光景を俳句で描こうとしただろう。幻想に力を与えているのは彼女自身の孤独と不安の切実さであろう。
敢えて申せば。それは鷹女にとっては幻想ではなく、孤独と不安の文字通り、現実だったのだと思う。そして、愚生が思い出す別のもう一本の書は、鷹女の句について鑑賞した秦夕美『夢の柩 わたしの鷹女』(邑書林)である。その中に津沢マサ子が書いた「鷹女のこと」で、(三鷹駅からのバス路線図に加えてみ道順が記された昭和37年4月25日消印葉書)を津沢マサ子宅で見せてもらったことがある。そして、津沢マサ子は、その葉書を手に二歳半の男の子を背に括りつけ、鷹女に会うために句会に行った。その男の子は鷹女に何度かあやしてもらったという。髙柳重信に会ったのもその時が初めてだったらしい。
「一句を書くことは 一片の鱗の剥脱である」鷹女。
ともあれ、同書より、いくつか鷹女の句を、
瞳に灼けて鶴は白衣の兵となる 鷹女
白露や死んでゆく日も帯締めて
墜ちてゆく 炎ゆる夕日を股挟み
氷上に卵逆立つ うみたて卵
寒満月こぶしをひらく赤ん坊
夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり
三宅やよい、1955年、兵庫県生まれ。
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