祖父は好きだった(と思う)。上野あたりの娘義太夫にも通っていたが、それが下火になったのか、小学生の私を出汁にして入谷金美館に私を連れていった。演者はなんと今村昌平の果てしなき欲望。青年長門裕之を誘惑する渡辺美佐子の色気に目を瞠った。
果てしなき欲望を観る祖父とゐて入谷金美館便所臭いよ
果てしなき欲望を観る祖父とゐて入谷金美館便所臭いよ
写真やイラストもふんだんなので、愚生のようなあまり映画館に通ったことのない者にも楽しめる。といはえ、愚生にも思い出がないわけではない。二十歳代なかば、下は店舗になっている三鷹駅前の団地に住んでいたころのことだ。ごく近くにあった三鷹オスカー?に仕事の休みの平日に暇つぶしに幾度か入った記憶があるが、見た映画は覚えていない。もう一つは、飯田橋は佳作座での解雇撤回闘争をしていた争議団の支援の、抗議申し入れ行動でけっこう行った記憶だけがある。遠い昔の話だ。
本特集の記事の多くに共感させられたが、とりわけ、久保隆「『映画』をめぐる共同性の場所」に、
歌舞伎というものは、わたしは観劇したことはないが、芝居の中で役者の通称名が客席から発せられるようだが、むろん、当時の文芸坐や昭和館の観客たちは、誰も歌舞伎座を観劇したことはない、といい切っていいと思う。例え清順映画に、歌舞伎的様式美があったとしてもだ。
というあたりの、挑発的なものいいには、思わず納得させられた。愚生もそうだったからにすぎないが・・・。ともあれ、以下に同号よりの一人一句を挙げておきたい。
歌舞伎町一丁目一番地嫁が君 啞々砂
あやとりのこの娘飽かずや花の雲 亞羅多
中横と躑躅閉じつつ常世かな 井口吾郎
三月の対話がうまくいかぬチェロ 井口 栞
階段をヌードの降りる春の暮 伊 豫
息白しラインダンスの端のひと 笠井亞子
明日死ぬよと九官鳥は言わず かまちん
風飼いのかいやぐらから薄狼煙 ことり
凍て窓を開け放ちたる幸福論 虎 助
うらゝけし掃除当番だろお前 小林苑を
余生とは期日なきもの初硯 小林暢夫
「また独りごと言ってるし」言ってるし 近藤十四郎
父の日のぼんやりかかる月の暈 斉田 仁
みながみなみなしでいへばみなしぐり 佐山哲郎
擦れ違うマスクの女みなふたえ 子 青
春の夜の廊下が濡れてゐて怖い 月 犬
白髪の息子がつくる蕪汁 貞 華
春先の志村坂上女子多し 東 人
ハクモクレン夜が余白へ流れ込む 長谷川裕
木が切られ寒く晴れ 温
革命の話枝豆尽くるまで 風 牙
沙羅の花咲くここにをりいちにちをり 振り子
アフリカやオクラを切れば星がある 槇
啄木の酸ゆきサラドよ初夏よ 皆川 燈
睡蓮の家まづ描いて街の地図 村田 篠
病棟にマグロ解体ショーのデマ 喪字男
吹かれてはたんぽぽたんぽぽから自由 山中さゆり
いつまでとこの湯たんぽに問うている 由紀子
新居者の鍵かけて出る春のをと ラジオ
0 件のコメント:
コメントを投稿