2018年7月26日木曜日

鈴木節子「詩嚢使ひ切るまで死ねぬ雲の峰」(「門」8月号)・・



 「門」8月号(門発行所)に、山田耕司が「門作家作品評/5月号より」を執筆している。かねてより山田耕司の句の読みには注目していたのだが、今回の「門」の作品鑑賞でも、そのよいところが遺憾なく発揮されていると思う。例えば、鈴木節子啓蟄の一本の棒どうしよう」の句について、

 (前略)て、その表現は実に巧み「啓蟄の」と打ち出すことで、「啓蟄」にまつわるあらゆることを読者に想起させてから、視点を一本の棒にしぼり込む。この場合の格助詞「の」は、「一本の棒」を修飾するのみならず、むしろ切字の「や」のような働きを示しているのである。であるからこそ、〈啓蟄の頃の棒〉ではなく、〈垂直の意志が現実の形状になったかのごとき一本の棒〉として、この「棒」が読者に届く。

 と、一句を実に正確に読み、鑑賞している。ブログタイトルにした鈴木節子「詩嚢使ひ切るまで雲の峰」の句にも、その垂直の意志がよく反映されている。
 他に、同誌本号には、木本隆行句集『鶏冠』の特集も組まれている。

   人ひとりひとつ影もつ原爆忌     隆行
   息白し黙せばさらに息白し
   父知らず父にもなれぬ父の日よ

 また、兼題〈押〉の鳥居真里子特選句には、

  青饅の色老年の押へどこ      中島悠美子
  六道へ押し出されたる蝌蚪の紐    木本隆行
  玄白の花押のごとき日永かな     桐野 晃

 が選ばれている。
 ともあれ、「門麗抄」「鷹燈抄」より一人一句を以下に挙げておこう。

  その宛名かの虹の根つこではないか  鳥居真里子
  万歳が永久の訣れに麦の秋      野村東央留
  黒樫の涼しさ師恩にも似たる     小田島亮悦
  母は太陽父は大地の葱坊主       成田清子
  幾万の亀を鳴かせて兜太逝く      神戸周子
  蜥蜴出て俄かに日なた生臭し      大隈徳保
  蜜豆や築地の路地のつきあたり     長浜 勤
  たんぽぽの低さになじみ潮の風    石山ヨシエ
  春筍や三方より来たけくらべ      布施 良
  犬の耳屹立日本の五月来る       関 朱門



           
          撮影・葛城綾呂 息つぎ↑

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