2018年7月14日土曜日

小中英之「風立てば風を朋とす含羞の花うすくれなゐの国籍知らず」(『ユーカラ邂逅』)より・・



 天草李紅『ユーカラ邂逅ーアイヌ文学と歌人小中英之の世界』(新評論)、愚生はといえば、副題に記された「アイヌ文学と歌人小中英之」に、愚生の若き日、小中英之歌集『わがからんどりえ』を手にして以来の、その歌のいくつかを思い出すためのよすがであって、それにまつわるもろもろに興味があったのだけれど、それだけではない著者・天草李紅のアイヌ文学に向けられた眼差しに深く射られたのである。その第Ⅱ章の「途絶の足音 佐々木昌雄ノート」の最期に記されたことが、本著の内容をよく言い当てているように思えるので、以下に引用する。

(前略)本書でとりあげてきた違星北斗(いほしほくと)もバチラー八重子も森竹市(もりたけたけいち)(本書一九三頁4参照)も鳩沢佐美夫も、北海道の文献にはかならず出てくるのに、日本の文学史に掲載されないのは、かれらがアイヌの文脈のなかでしか語られていないことを意味する。知里幸恵(ちりゆきえ)の『アイヌ神謡集』(本書一六一・二〇六頁参照)の日本語訳が「翻訳自体の美しさ」において賞讃されたりすることと、それは軌を一にしていると佐々木は言う(「鳩沢佐美雄の内景」『コタンに死す 鳩沢佐美雄作品集』新人物往来社)。つまり文学作品の評価においても日本のあり方が問われているのであって、佐々木の評論は、これまでアイヌの文脈でしか語られなかったものを、日本の問題としてとらえなおすという意味をもつよく担っていたはずである。 

 そして、「まえがき」には、

 小中英之の透明な短歌の向こうには、アイヌの自然が息づいている。
 かれがアイヌゆかりの北海道平取(ぴらとり)の地に暮らしたのは、少年時代の一時期だが、その出会いはけっして行きづりのものではなく、そこから出発し、またそこへ戻ってくる、そういう性質をもった宿命的な場所のように感じられた。(中略)
 そういうものを、小中は「約束」という名で呼んだように記憶する。小中英之にとって、そこは最後の希望の砦だったのではないだろうか。
 
と述べられている。また、巻末には、当時の状況を知るてだてにと「本書関係年表」が「近代アイヌ文学の流れ」「近代短歌の流れ/小中英之年譜(太字)」「参考事項」として示されいる。その年表によると、『わがからんどりえ』(角川書店)は1979年に上梓されている。愚生が、吉祥寺駅ビルの弘栄堂書店に勤務していた頃だ。その前年には小池光『バルサの翼』、さらに前年は永田和宏『メビウスの地平』や同時代には福島泰樹、河野裕子、佐佐木幸綱など、愚生が興味をもった短歌集が目白押しだった時代でもある。
 ともあれ、本書のなかよりいくつかの歌を以下に挙げておこう。

  蛍田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり  英之
  はなやぐにあらねど秋のまぼろしを魚ら光りてしきり過ぎたり
  月射せばすすきみみづく光りほほゑみのみとなりゆく世界
  小海線左右(さう)の残雪ここすぎてふたたび逢ふはわが死者ならむ
  中生代白亜紀ふみてたまきはる蜂起にかけし死はも反るべし
  ハヨピラの丘に雪降れまむかえどすでに神(カムイ)の顕ちがたくして
  少年の日におぼえたるユーカラのひとふし剛(つよ)き救ひなりけり

天草李紅(あまくさ・きこう) 1950年生まれ。



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