2018年7月4日水曜日

山﨑公一「ルリカケスは 眼が潰れるほどに 美人だった」(『山行記ー夢のかけら』より)・・

           


 山﨑公一『山行記ー夢のかけら』(私家版)、跋文と思われる小松麟太郎「感想ひとつ」によると三冊目の「山行記」だそうである。著者の「後記」によると、

 会社勤めを終え、十代で見た夢をもう一度と山登りを再開して十年が経った。本書は直近の四年にわたる山行を題材にしたその夢のかけらだ。しかし、ジグソーパズルのようにピースがかみ合って完成するものかどうか、夢のパーツを集めても意味をなさないようでもあり、いや今となってはどんな夢のかたちを思い描いていたのかも怪しくなってしまった。

 という。とはいえ、巻末に添えられた「山行譜(2013年~2017年12月)」によると、毎月、それも月に2、3回は山行を繰り返している。趣味の世界などというしろものではないことは、門外漢の愚生にも分かる。中では、彼の娘・泉とともにアイガーミッテルレギ稜の登攀を計画する話も登場する。また、「『ハイキング』の理由(わけ)」〈谷川岳西黒尾根~天神尾根〉では、

 ラクダの背にさしかかり、同行する娘の泉に簡易ハーネスの着用を提案すると、何と反対された。
「ウチは要らない。着けたくないよ。父だけすれば」
「この先で尾根が痩せてくるしクサリ場もある」
「誰もしてないじゃない。恰好悪いし」
「ほかの人たちはただ用意がないだけさ」
「今日はハイキングじゃないの? ハイキングにハーネスは必要ないでしょ」
「今日はハイキングさ。でも近頃はハイキングでも普通にロープを持って行く」
「ハイキングなのにどうしてロープが必要なの」
「ロープは山登りをフレキシブルにするツールだよ」
娘は不精々々スリングを身体に巻き着けた。

 というシーンがある。娘は、色々父に相談したいことがあったのだ。だからハイキングくらいがちょうどいいのである。最後に「会社の人に、どうして山に行くの?」と聞かれ、父は、「ビールをおいしく飲むため」と言い、娘は、

 「それって、ウチの剣道と同じだね」
 言葉の意味を一瞬とらえかねた。こどもの時分から剣道一筋だったが、それはいったいいつごろからのことだろう。長じて酒好きだけが親に似てしまっただけのことかも知れないが、妙に可笑しかった。期せずして思い浮かべたものが同じなら、予定の下山ルートである田尻尾根を割愛しようとの意見の一致は早かった。
 ロープウエイを目指して、天神平の草原を剣道の達人が風を切って軽やかに駈けていく。その後ろ姿を、重い甲羅を背負った亀のように私は追ってゆく。

 のだった。かつて、同じ団地に住み、ある労働争議の現場で知り合った山﨑公一の娘を短い期間だったが、愚妻が少しの時間、預かっていた時期があった。愚生はほとんど忘れかけていたが、最終章の「雪稜のモーツアルト」〈白馬岳主稜〉で雪崩に遭遇し、その翌朝に、イワツバメの群れ飛ぶ光景ともにモーツアルトのクラリネット五重奏曲が聴こえる場面があったとき、そういえば、愚生の娘が一時期クラリネット?を習っており、その折り、たしかにその楽器を貸してもらっていたことがあったのだ(後日譚では、クラリネットではなくフルートだった、とのこと)。
 ともあれ、一書には、腐れ雪、尻セードなどの他にも、登山の専門用語も沢山出てくるが、愚生は、いちいち辞書をひくこともなく、ぐいぐいと読みすすめさせられた。山﨑公一の筆の力であろう。
 本文中の山の写真も著者。表紙絵は山﨑泉。

 山﨑公一(やまざき・こういち)1947年、東京生まれ。城北高校山岳部OB会会員。北多摩山の会会員。




      

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