府中市生涯学習センター春季の「現代俳句入門講座」4回目の最終講座だった。今回の講座は、句作の実践を主に、そして、参加者の皆さんと句の相互の合評を行い、愚生は進行役みたいなもので、なかなか盛り上がった。すでに、当・府中市生涯学習センターでの10月開始の秋の講座も決まっている(5回)ので、縁があれば、またお会いしましょう、と締めくくった。
ここからは、余談だが、講座参加者の中の濱筆治さんが、若い頃、「層雲」の近木圭之介(前号・黎々火)宅(山口県下関)を訪ねられた折り、そこに山頭火の句碑「音はしくれか」「へうへうとして水を味ふ」があったことを教えられた。近木圭之介は愚生が若き日、同郷ということもあってか、注目していた俳人の一人だったが、、手元の『層雲自由律90年作品史』によると、2001年(平成13年)には、近木圭之介「新世紀 音でないおと私を通過」、前年には「不在の午後 それは椅子だが」などの句が掲載されていた。その近木圭之介(ちかき・けいのすけ、明治45年~平成21年・享年97)は、あの有名な山頭火の後ろ姿の笠の写真を撮った人である。愚生は18歳で故郷を後にして以来、葬式以外は帰郷していない。まさに、故郷は遠くにありて思うもの・・であった。ともあれ、以下に本日の一人一句を紹介しておきたい。
午後八時おろす暖簾の梅雨晴間 高野芳一
遠雷やあやふやな過去こぼれ落つ 久保田和代
蝦蟇のつそり座して居り候 井上治男
竿突きて歩む雪渓下濁流 濱 筆治
風鈴の息吹掛ける老婆かな 杦森松一
庭に水透綾縮(すきあやちぢみ)に夏来たる 清水正之
園児たち食器響かせ夏となる 井上芳子
薩摩冨士映える日の入り亡友(とも)にみせし 吉永敏子
森林浴まぶしい太陽シュッシュッして 大庭久美子
ほたるぶくろ風に色づくときのある 大井恒行
撮影・芽夢野うのき「紫陽花や白き闇なるひとところ」↑
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