『あの句この句ー現代俳句の世界』(創風社出版)、その坪内稔典の「あとがき」には、
俳句雑誌「船団」の最終号(一二五号)に在籍していた人々の自選五句、それを集めてこの本はできている。千句を越す句がここにはあるが、読者の誰かによって拾われ、どこか思いがけない場所で話題になる、そうしたことが起こったらどんなにいいだろう。いや、俳句って、そうした偶然というか思いがけない出会いによって生きる詩なのだ。(その活動の事象としてこの本『あの句この句ー現代俳句の世界』もある。
「船団」の歴史において、とても刺激的に活動しながら、途中で他界した人がいた。あるいはなんらかの事情で活動の停止を余儀なくされた人も。そういう何人かをここにとどめておきたい。
まずは熊本県玉名市のあざ蓉子。一九四七年生まれの蓉子には『夢数え』(一九九一年)『ミロの鳥』(一九九五年)『猿楽』(二〇〇〇年)『天気雨』の四冊の句集がある。初夏の集いに現れる真っ赤なドレスの蓉子は、ある時期の船団の象徴だった。
朧夜やいつさいはづす身の飾り
春の暮どうしても耳みつからぬ
(中略)
ともあれ、「船団の会」としての刊行物はこの本で終わりである。この本の編集中に折原あきの、甲斐いちびん、宮嵜亀、山中正己が他界した。
としるされている。思えば、あざ蓉子は、攝津幸彦健在の頃の「豈」同人でもあった。愚生は、上京したあざ蓉子と新宿東口の今は無き談話室・滝沢の2階で攝津幸彦、仁平勝とともに会い、その場で、あざ蓉子は「豈」への入会を決め、たしか、その後、あざ蓉子の第二句集のための参考までにという希望を受けて、各人で300句程度の選句を行ったようにも思う。現在、あざ蓉子は病気療養中と聞いている。かくいう愚生は、創刊号の「船団」では会員であった。それは、当時の文字通り愚生らの俳句のシーンを領導してきた「現代俳句」(ぬ書房)を終刊させた後に、坪内稔典が、いよいよ彼中心の雑誌の創刊にエールを送り、いくらでも支援したいという気持ちだったからである(初期には、そういう会員が多かったように思う)。その後「船団の集い」にも参加したことがあるので、古い方などには面識もある。ともあれ、以下に本書より、それらの方の一人一句を以下に挙げておきたい(すべての人とはいかないかも知れないが)。
前へススメ前へススミテ還ラザル 池田澄子
炎天に重くひしめく千羽鶴 内田美紗
牡丹から出てゆく牡丹のやうなもの 岡野泰輔
人の世に父の日船に羅針盤 折原あきの
満開の桜のうしろから抱けり 小西昭夫
ペンギンと空を見ていたクリスマス 塩見恵介
膝に傷渡船に夏の波がしら 谷さやん
裸楽し世界よ吾に触れてみよ 津田このみ
着ぶくれの媼一日して成らず つはこ江津
たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ 坪内稔典
怒るからどんどん増えるブロッコリー 寺田良治
福助のお辞儀は永遠に雪がふる 鳥居真里子
桜咲くそうだヤカンを買いに行こ 中原幸子
BARいつも席に鷹座す角瓶も 能城 檀
キャラメルの空箱虹をしまいこむ 東 英幸
天高くみんなで道をまちがえる 火箱ひろ
人を恋うつまりこうして落葉掻く 陽山道子
万緑や鳥に鳥の子蚊に蚊の子 ふけとしこ
黒白(こくびゃく)の花は子午線上に咲く 武馬久仁裕
小春日や隣家の犬の名はピカソ 皆吉 司
ナイターのみんなで船にのるみたい 三宅やよい
ペンギンと桜を足したような人 芳野ヒロユキ
空蝉の中に風吹く無言館 若森京子
緑雨です今くちびるに触れないで わたなべじゅんこ
芽夢野うのき「なぜかかなしや青柿がめにしみる」↑
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