東直子『レモン石鹼泡立てる』(共和国)、その「あとがき」に、
本のタイトルは、かつて詠んだ私の次の短歌からとっています。
永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹼泡立てている 『青卵』
時間の経過とともに意識が変わり、忘れ去ってしまうことも多いのですが、書物の中に書かれた言葉は永遠にそこにあり、後世に過去の時間と生きていた人々の思いを新しく伝えてくれることと思います。この本が、そのささやかな一助となれば、たいへん幸いです。
とある。本書は、東直子の書評を中心にまとめられたもの。興味あるページを自在に開いて読めばよい。各章の扉の次ページにはエッセーが配されてある。「1 そばに居るひと」「2 ちいさな光をあつめるように」「3 切なさの先にあるもの」「4 とまどいながら生きていく」とまとめられていいる。本書より一つのみ、堀江敏幸『めぐらし屋』について記された「あたたかい謎」の個所の部分を紹介しておきたい。
(前略)『めぐらし屋』は、「蕗子(ふきこ)さんと丁寧に「さんづけ」されて描写される女性が主人公である。女性が主人公ということもあり、全体がやわらかな感覚につつまれている。(中略)
『めぐらし屋』は、文章を味わいながら、人生が細部の積み重ねでできていることを体感できる小説でもあると思う。蕗子さんは、勤続二十年のOLという現在を過ごしつつ、父と一緒に暮らしてきた自分の記憶を蘇らせる。一緒にいられなかった時間は、そのとき父と一緒にいた人の証言によって補われ、想像上の思い出が構築されていく。そのことによって記憶の中の思い出も新しくなる。読者は、蕗子さんという一人の女性に、蘇る記憶を通して親しんでいく。(中略)
さらに余談として俳人の高柳重信氏の代表句集に『蕗子』があり、一人娘の名前も蕗子である。その高柳蕗子さんは歌人で、私と同じ「かばん」という歌誌に所属しているのだが、蕗子さんからは、前衛俳句の旗手と呼ばれた重信さんの話を聞くことがある。重信さんを「パパ」と呼ぶ蕗子さんは、いつもとても誇らしげに語る。そんな「蕗子」さんの存在が、この小説の着想に関係したのか、しなかったのか。(中略)
父と娘。母と娘。毎日出会う職場の人。時折出会う古い友達。一期一会の人。様々な形でのつながりが、人生に蓄積されていく。人と関わることはおもしろいのだと、素直に感じられる一冊である。
とあった。ともあれ、本書には、歌人らしく多くの短歌が配されている。その中からいくつかの短歌を挙げておこう。
今そばに居るひとが好き水が産む水のようだわわたしたちって 東直子
腕を植えて生き直せれば永遠の植物としてあなたを愛す 〃
かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなし今は 大西民子
生きるならひとり真夏の叢(くさむら)の人に知られぬ井戸よりもっと 早坂類
地球儀に唇(くち)あてているこのあたり白鯨はひと知れず死にしか 大滝和子
年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり 岡本かの子
その母の命に代はる児なれども器の如く木の箱に入る 与謝野晶子
死に顔を「気持ち悪い」と思ったよごめんじいちゃんひどい孫だね 畠山海香
「助けて」と言えれば会えたかもしれぬ夜ひとりで過ごす避難所 田宮智美
失ったものもあるけれど「しっかり」と頬をはじいた鋭いみぞれ 久保田有菜
ことごとく生きてゐる人、生きてゐる人だけがどつと電車を降りくる 花山多佳子
東直子(ひがし・なおこ) 1963年、広島県生まれ。
撮影・鈴木純一「PKを外したヤツと夜は寝る」↑
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