2014年4月23日水曜日

誰もがボブに憧れた「101年目のロバート・キャパ」・・・


「ボブ」はキャパの愛称である。
キャパはハンガリー、ブタペストで1913年生まれ、インドシナ戦争下のベトナムで地雷を踏んで40歳と7か月の生涯だった。本名は「エンドレ・エルネー・フリードマン」であったが、各国において6つの呼び名をもったらしい。英米語で「ロバート・キャパ」と「ボブ・キャパ」。
キャパ『ちょっとピンぼけ』はノルマンディー上陸作戦を撮った第二次大戦後に出版された有名な写真集。
キャパを一躍有名にしたのはアメリカの写真週刊誌「ライフ」に掲載されたスペイン戦争時の「崩れ落ちる兵士」。その写真のピントがぼけていて、「これはピントがぼけているために実に本物っぽく見える」と言ったギャラハーに、「ピントが合ってはだめなんだ。少し手がぶれたら、うまい動きのショットが撮れるんだ」とキャパは大笑いしたという。沢木耕太郎著『キャパの十字架』(文藝春秋)にそう書かれている。以前、この著書の証明をするようにキャパとゲルダに焦点を合わせた企画展が、確か横浜美術館で開催されたことがある。
その展示では、「崩れ落ちる兵士」は戦場そのもので撮られたものではなく、「演習場で撮ったものにすぎない」(ギャラハー)の証言を実証するため、撮られた場所を特定し、コンピュータで撮られた位置を明らかにし、さらに、この写真は結婚を約束した恋人だったゲルダ・タローが撮った写真に違いないと推理した。つまり二人は別のカメラで撮る位置を違えて同時に撮っていたものの一つだというのである。
そのもう一人のカメラウーマンがゲルダだ。ゲルダ・タローはスペイン戦争下女性戦場カメラマンとして撮影中に戦車に轢かれて死ぬ。27歳だった。ロバート・キャパはいわば二人のための「チーム・キャパ」の一人の名だ。そのゲルダを失ったのはキャパが23歳の時であった。
その後、キャパはゲルダの志を共に生きるように、20歳代を日中戦争、スペイン戦争、空爆下のロンドン、第二次世界大戦にはアメリカの従軍記者、北アフリカのイタリア戦線など、戦場カメラマンとして活躍した。あたかも「崩れ落ちる兵士」以上の本物の戦場写真を撮るためのように・・・
現在開催中のキャパ展は、東京都写真美術館、5月11日まで・・・。生誕1世紀を記念しての展示だから、「崩れ落ちる兵士」は謎に包まれた写真として紹介されている。
また、キャパの愛用したカメラなど、ほとんどを東京富士美術館所蔵のものが公開されている。
『キャパの十字架』では、沢木耕太郎がキャパらが設立した写真家集団「マグナム・フォト」からすべてのキャパの写真を借り、「マグナムは必ずしも沢木氏の本の内容を認めているわけではない」の一文を入れてほしいという申し入れを、「喜んで」と答えている。「崩れ落ちる兵士」の謎を解く沢木耕太郎もまた、キャパへの愛であふれている。


                                                                           ガマズミ↑

*閑話休題
この日、都内で先にこのブログで紹介した上田薫氏の著書『林間抄残光』のお祝いの会があったらしく、上京した武馬久仁裕氏と会った。久しぶりに氏と俳句よもやま話をした。
武馬氏は小川双々子「地表」の弟子であり、かつ、今は、小川双々子が社長を務めていた黎明書房の社長でもある。同人誌「未定」創刊同人の一人でもあった。「雑技団」にも所属されていたが、現在は「船団」。
氏と最初にあったのは坪内稔典氏らと「現代俳句シンポジウム」を名古屋で開催したときだから、随分昔のことになる。ふらんす堂現代俳句文庫では、愚生のために、ともども清水哲男、福島泰樹、武馬久仁裕の解説を掲載させていただいた恩もある。

     大空に脳中の春絞り出す      久仁裕 句集『G町』
     パラソルが溶けて真赤な国興る
     かなもじという裸体を思う秋の空  久仁裕句集『玉門関』
     玉門関月は俄に欠けて出る

      
 
                                                                  シャクナゲ↑

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