2014年4月4日金曜日

アンパンが好きだった明治天皇皇后・・・

                カラスノエンドウ↑

俳人の間では、正岡子規がアンパンをよく食べたのはつとに知られているが、こと、明治の世では、想像するにアンパンなどはぜいたく品の内に入ったのではなかろうか。
時代は下って、アンパンが好きだった俳人といえば、永田耕衣、さらに坪内稔典に指を折る。稔典氏は最近、胃の手術をされたあと、さすがに毎日ではなく、一週間に一度くらいになったとどこかに書いておられた。
かくいう愚生もアンパン大好き人間で、これも血糖値の上昇に寄与すること大で、さすがに今では毎日というわけにはいかない。糖の値をさげるには炭水化物を抑えることが一番、それもパン類は駄目なもののトップクラスらしい(そんな我慢までして健康になりたいか、などという罵声がどこからか聞こえてきそうだが・・・)。
ところで、ものの本によると、今日4月4日は、明治8年のこと、明治天皇は水戸徳川家代々の勤王精神に応えるべく、水戸家下屋敷にご臨幸なされたらしい。そのとき水戸家が接待に用意したのがアンパンである。天皇の侍従・山岡鉄舟が銀座木村屋の店主・木村安兵衛と剣道が縁で知り合いだったことによる。
木村屋が発明したアンパンこそはまんじゅうの伝統と西洋の製パン技術の粋を集めた和魂洋才の典型のように思われていたのだ。
明治天皇は大いに喜ばれ、以後皇室御用達になった。とくにアンパンを好まれたのは明治天皇皇后陛下だったようで、木村屋では、皇室用には、アンパンの中央に穴をあけ、紫蘇ををつめたとある。その木村屋の看板の文字は山岡鉄舟の筆で、銀座名物になった。

     あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ    三好達治

               ムスカリ↓

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