一千句余を収める大冊である。帯には「『汝と我』『四大にあらず』『句篇』『山毛欅林と創造』『空なる芭蕉』--と延々と書き継がれてきた厖大なる言葉と句業の長旅の、いわゆる【句篇・全】の渾身の最終巻がここに成る」とある。
帯に記されたいずれの句集も各一千句を越す句であふれているから、安井浩司の構想の句の世界が開示されるのに『汝と我』刊行、1988年(昭和63年)以来、完成に約30年近い歳月をかけたことになろう。総句数をきちんと数えたわけではないが、およそ八千句、末広がりの八がらみで、これからもまだ多くの句を残される予感さえする、喜寿の安井浩司である。
「宇宙開」の語に愚生が初めて接したのは、『安井浩司選句集』(邑書林・2008年刊)に収録された「安井浩司インタビュー」である。それには、
宇宙開に挑んだのが『乾坤』『氾人』で、それ以後の句集がどうだという事でなく、一つ一つ道を踏んで来たというのが正直な話です。誰だって同じだと思いますが、どれが一番好きかといえば、それは最新作でしょうね。
と答え、また、次のように続けている。
私が「一句集一作品」という言葉を発したとき、当然に一句一宇宙の独自性のことや、連作、群作の誤解を持ち込まれることを覚悟していました。(中略) これはあるテーマを掲げての連作、群作ということではないのです。作品を形取り、創出を繰り返していく過程で、それが大いなるモチーフに貫かれているかどうかだけの問題なのです。だから、そのことを大きく言えば、当然〈一生涯一作品〉でもよいわけで、これは結果としての事実が確然と語っています。(中略)自分ではそれぞれの作がバラバラに拡散した状態にあるとは思いません。押し寄せる作品の波が、いつからか私の宇宙運動のリズムとなり、そのリズムを繰り返すことで、諸作が次第に渦巻文となり〈一世界〉をめざすのです。これは私が今まで十三冊の句集を成した流れから、ごく自然に成立したわが〈世界形成〉の手法です。
とりあえず、句集『宇宙開』のなかから、前書のある句を挙げておこう。
わが若き日に
書を抱(いだ)き行く多摩墓地の決闘や 浩司
多摩墓地に眠る多くの先達、例えば俳人ならば渡邊白泉か?
詩友・金子弘保倒る
立つ風に汝が骨髄震うべし 浩司
金子弘保は、安井浩司の無二の親友であり、酒巻英一郎を俳句の世界に引きづり込んだ師にも等しい人である。その金子弘保に10年前、短詩『古生人類も』(天秤社)がある。それは、大岡頌司多行の、三行書俳句を髣髴とさせる短詩である。一篇を以下に、
山崖と低地は幾度も海没の春を
黴は灰色、苔は緑色、菌は褐色に
小さく、大きく、小さく羊歯は 弘保
最後に幾つか『宇宙開』から紹介するが、いかがなものか少しばかり愚生の好みに偏して躊躇している。
廻りそむ原動天や山菫 浩司
逝く春の鯉の泪を雲紙に
きみ若く楕円の石を抱く葬や
この句には、攝津幸彦「葱二本楕円の思惟はくづれたり」を想起する。 果たしていかに・・・
春沖を顔は見えずに諸手(もろた)船 浩司
千屈菜(みそはぎ)を抜けば現わる黄泉の穴
かの若き貧血僧に野いちごを
山鳩よ天の洪水起るらし
抽象の輪を投げ孔雀捕えんや
ふるさとの師が科の木に吊る言葉
消えるまで沙羅(シャーラ)を登りゆくや父
レンギョウ↓
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