2015年7月27日月曜日

佐藤鬼房「鳥帰る無辺の光追いながら」・・・


               鬼房「鳥帰る無辺の光追ひながら」↑

                 
少し前のことになるが、記しておこう。
関口芭蕉庵の庵主だった大場鬼奴多のことだ。
いつ頃だったか、庵主から「野菜倶楽部 Oto no ha Cafe」のマネージャ―(大場治巳)に転じたと聞いていたので、その店に必ず行くと言っていたのが、約束を果たせずにいたところ、偶然とでもいおうか、講談社野間記念美術館に「近代日本の洋画展」を観て、傍にあるこじゃれた茶店に入ろうと思った所が、そのカフェだった、というわけで、渡に舟の約束を果たしたのである。
聞けば、隣の野間記念館にも三年ばかり勤務していたらしい。
野菜倶楽部というだけあって、その日も御婦人方で賑わっていて、席が空いておらず少し待ったのだった。
カフェの一隅には、鬼奴多の趣味のコーナーと思われる書棚があって、さすがに句集は
お客さんの眼をはばかってか置いてなかったが、歳時記風の花の図鑑などは並んでいた。もちろん野間記念美術館と経営母体を同じくするらしいから、講談社発行の美術本はいくつもあった。
なかでは、大事に棚一段をとって額装された色紙が置かれていた。
大場鬼奴多は佐藤鬼房の弟子(「小熊座」同人)だったので鬼房の句の額だった(上掲写真)。
大場鬼奴多と最初に会ったのは、関口芭蕉庵で行われていた眞鍋呉夫の連句の会に浅沼璞に誘われて行った折だった、と思う。
もちろん、眞鍋呉夫がまだ句集『雪女』(冥草舎)を上梓する前のことである。
20年ほど前のことだろうか。

   セロ弾きは反骨のひと蒼鷹(もろがへり)       鬼奴多



                       ホタルブクロ↑

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