2018年11月11日日曜日

攝津幸彦「荒星や毛布にくるむサキソフォン」(『俳句の水脈を求めて』より)・・・



 角谷昌子『俳句の水脈を求めてー平成に逝った俳人たち』(角川書店)、帯には、

 昭和を生き、平成に逝った26俳人の作品と境涯。彼らはどのように俳句に向き合い、何を俳句に託したのか。そのひたむきで多様な生と、魂の表現としての俳句の水脈を探る。

 とある。巻尾に収載された俳人は先般98歳で亡くなっ良くも悪くも文字通り、虚子以来の巨星だった金子兜太、およそ本書の昭和~平成時代の締めを飾るにはうってつけの俳人である。
 愚生は、同時代を生きて来た攝津幸彦や田中裕明にどうしても眼が行ってしまうが、巻頭が飯島晴子であるのは、藤田湘子やアベカンとのエピソードを含めていささかの感懐があるので嬉しい。今、平成時代が尽きようとしているとき、愚生にも、そのほとんどの俳人の姿を目撃できた同時代の俳人であることも本書を身近なものにしている。第一章のインタビューに登場した俳人に女性が圧倒的に多いのも興味深く面白い。
 著者「前書きー俳句の力」には、

 本稿執筆により、影向や回向、すなわち魂を慰め、しかも自分を鼓舞するという俳句の力が、平成を通して見えてきた気がする。もしかしたら、ほんの一面かも知れないが、平成の物故俳人を振り返って実感したことである。やはり、俳句の力はここにある。生きて俳句を詠むのは、俳句の恩恵に浴しているからだと思う。

 と記されている。因みに「攝津幸彦ー俳句で探る存在の根源」には、

 創作者であり、批評家である重信を攝津は自分の審判者として選んだ。赤黄男、重信、攝津の三俳人に共通しているのは、抱え込んだ虚無感を反抗と否定の精神で超克し、独自の句境を切り拓いたことだろう。
 「感動を詠む」ことが現状肯定に繋がるのは当然だ。三俳人は、常に批判精神を抱き、従来の言語表現を単に踏襲せずに、「感動を創る」ため、意味の伝達性を排除して言葉を「書く」ことに集中した。彼らの創作態度は「諷詠」ではない。 

 と喝破している。もって瞑すべきか。最後に収録作家を列挙しておこう。それにしても本書を読むと戦後俳句は事実上終焉したように思える(もちろん、現在の若者を魅了している攝津幸彦、田中裕明はいる)。

 飯島晴子・野澤節子・川崎展宏・藤田湘子・佐藤鬼房・上田五千石・永田耕衣・能村登四郎・桂信子・三橋敏雄・森澄雄・飯田龍太・草間時彦・中村苑子・橋閒石・田川飛旅子・細見綾子・八田木枯・津田清子・古沢太穂・村越化石・鈴木真砂女・鈴木六林男・摂津幸彦・田中裕明・金子兜太。

 角谷昌子(かくたに・まさこ) 1954年、東京都生まれ。



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