2019年5月10日金曜日

西東三鬼「霧の街防弾チョッキわが買はず」(「赤旗」連載・「松本俊介と街と渡邊白泉」より)・・


          今泉康弘連載のしんぶん「赤旗」↑

 今泉康弘の「しんぶん『赤旗』水曜エッセー『松本俊介と街と渡邊白泉」も回を風重ねていよいよ佳境に入ってきた。戦前の絵画と新興俳句の共通項を、モダニズムという思潮において描き出そうとしているようである。例えば連載2回目「街にこもる思い(4月17日)の結びは、

  ただし、日中戦争の始まる前、彼は人物と建物とを別個に描いている。画面に人物を入れずに、ただ好ましい建物だけを描いていた。それはやがて「街」のように建物と人物とをモンタージュして描くようになった。その変化を促したものは戦争であった。

 或いは3回目「千人針という題材」(4月24日)では、

 モダニズムの「街」にもかかわらず、ではなく、モダニズムの「街」であるからこそ、戦時色が現れるのである。街はモダニズムの現れる場所であり、戦争がモダニズムを踏み潰す場面でもあった。

 あるいはまた、「戦争への不安と抵抗」(4回・5月1日)では、

 ただし、俊介の資質は、社会問題の告発ではなく、街に生きる人間の姿や街並みを叙情的に描くことにある。日中戦争の開始以来、庶民の生活は変わった。街の情景のなかに戦争のもたらす影があり、人々の心を陰らせていた。俊介の眼差しはそうした人々の思いをすくいとった。それは彼自身の心の陰りでもあった。そのために選んだのがモンタージュというモダニズムの方法であった。

と述べている。

  

 
 また「蝶」(代表・味元昭次)では、今泉康弘の連載「川柳的な、あまりに川柳的な」が今回(5回目・237号)をもって完結した。その結び近くでは、

 (前略)我々が俳句的だと思うもの、川柳的だと思うもの、そのそれぞれの核心にあるものは何かということだ。また、初めに述べたように本稿の目的は、川柳と俳句の間に明確な一線を引くことではない。川柳と俳句とは、ともに俳諧の現在の姿である。それを別ジャンルとして峻別することの方が間違ったことなのではないか。いわゆる純文学も大衆文学(エンターテイメント)もどちらも小説である。(中略)本来、同じものである。お互いが影響し合うことによって、俳句と川柳との区別がなくなって、俳諧の本来型として、より良い短詩型が生まれることを希望している。

 と双方にエールを送っている。



     しんぶん「赤旗」4月28日、読書欄(鳥居真里子)↑
                                              

★閑話休題・・・芭蕉「この道や行く人なしに秋の暮」(古井由吉『この道』書評より)・・


 しんぶん「赤旗」つながりで、今度は、鳥居真里子の読書欄の古井由吉『この道』の書評の部分を以下に紹介しておこう(「赤旗」も最近、有望俳人の起用が多くなってきたのかもしれない。文字通り前衛?)。

(前略)森羅万象をあるがままに受けとめる。それは老いてなお生気を内に秘め、創造の実りを求めてやまない作者の精神を支える源泉であるにちがいない。〈この道や行く人なしに秋の暮〉表題となる芭蕉の一句である。(中略)
 「死後のことを考えるのは詮ないことだと考えている」。死を達観することなどあり得ない。死は常に生の内にあるのだから。作者のつぶやきが言霊のように胸をついて離れない。(鳥居真里子)
                              
    

          撮影・葛城綾呂 ヤモリ↑
 

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