2020年4月9日木曜日

佐藤鬼房「そしていまかくれん坊の虜笑む」(『佐藤鬼房俳句集成』第一巻より)・・



 『佐藤鬼房俳句集成』第一巻全句集(朔出版)、栞文は金子兜太「鬼房を見よ」、髙橋睦郎「生前死後」、宇多喜代子「いかなるわれか」。鬼房生前に『佐藤鬼房全句集』(邑書林)が出ているが、それ以後の第13句集『愛痛きまで』と遺句集ともいえる第14句集『幻夢』を収める文字通りの全句集である。続巻で第2巻「評論」、第3巻「随想」が企画されているらしい。
 思えば、愚生が最初に手にした鬼房の句集は、坪内稔典、大本義幸、宮石弘司など「現代俳句」を出していた南方社版(1981年刊)の増補版『名もなき日夜』であった。ブログタイトルにした句「そしていまかくれん坊の虜笑む」には、前書「悼 攝津幸彦」と付されている。平成8年の句である。この追悼句には、攝津幸彦の句集名『鳥子』(ぬ書房)=、そして、同句集の「かくれんぼうのたまごしぐるゝ暗殺や」がしのび込ませてある。翌年に行われた攝津幸彦一周忌の偲ぶ会には、わざわざ東北の地から駆けつけて下さった(確か、「小熊座」5周年記念大会に愚生はパネリストで招かれた記憶がある。三橋敏雄が一緒だったような・・)。全く思いがけない出席であり、その折の鬼房の風貌は今でも忘れ難い。もう24年が経とうとしているのだ。
 ところで、金子兜太の栞文は2005年に仙台文学館で行われた「佐藤鬼房展~その生涯と俳句の世界」からの抜粋だが、冒頭に掲げられた2句は、本集成のために2017年に作られていたものだという。その2句は、

      鬼房集成《三巻》に
   湾深く黙(もだ)と和みて冬の男      兜太
   齢(よわい)来て娶る男の意志ふかし

 である。ともあれ、本集成より、愚生が見えた俳人への追悼句を挙げておきたい。

      髙柳重信の霊に
  絶巓のああ天の弓毀れたり         鬼房 
  おもひ栄(は)え大暑無言の別れかな  
      この日草田男の逝去知る
  宇曾利湖へ巨人没(い)りゆくか夏柳
      悼 加藤楸邨
  楸(きささげ)や空無の果の青山河
     句集『自人』を通して神戸を詠む
  廃墟ではないのだ至人翁の春
     悼 細見綾子
  つねの径なれどひときは露けしや
     森澄雄へ
  湖北青し時代を超えるかなしみに
     
佐藤鬼房(さとう・あにふさ) 1919年~2001年 享年82.岩手県釜石生まれ。







★閑話休題・・・髙柳重信「エヂソンは発明王と言はれけり」(「小熊座」4月号より)・・


 鬼房の全句集から、「小熊座」つながりで、同誌4月号の連載・後藤よしみ「『髙柳重信の奇跡』(10)『蕗子への道』」を紹介したい。連載も10回目で1ページずつで少し物足りない感じもするが、今どき、髙柳重信についての論を連載しようとする心持にエールを送りたい。連載記事の成り行きを追っていると、テキストは『髙柳重信全集』(立風書房)に拠っていると思われる。今回は、いわば、髙柳恵幻子から、髙柳重信『蕗子』に至る前段が、当時の戦前の社会情勢を背景に語られている。その結びには、

  重信同年、大塚生まれの詩人、田村隆一は「昭和六年、風邪をこじらせて、離れで寝ていると、祖母が囁くように云った。「シナの奥地で戦争がはじまったよ」と記す(昭和の子ども」)。三一年九月、満州事変が勃発する。
  ただならぬ寒き国土にたちゆくと
      こぞるみちのくの兵をおくらむ(斎藤茂吉)

 とあった。  




             撮影・鈴木純一「胡桃を割る」↑

0 件のコメント:

コメントを投稿