2020年4月30日木曜日

黒田杏子「蕗のたう母が揚げますたすきがけ」(「藍生」5月号より)・・




 「藍生」創刊三十周年記念5月号(藍生俳句会)、特集は「母」、それに絡む黒田杏子論など。現代俳句協会主催の今年の現代俳句大賞は、黒田杏子。さすがに現俳協らしい、いわゆる俳壇的な垣根を超えての授与である(慶祝)。特集冒頭は黒田杏子「無名の俳人」には、

  母からの手紙、はがきはすべて捨てていない。「杏ちゃん、句作と会社の仕事。どうぞ身体に気をつけて。自他共に納得できる作品をめざして精進して下さい。いい句に恵まれることをお母さんはいつも祈っています。謙虚に先人の名句に学んで、あなたならではの俳句が生まれるものとを信じています。焦ることはありません。人と競う必要は全くありません。素直に大らかにゆっくりと精進してゆくことが大切。杏ちゃんにはその性質が子供のときから備わっていました。人と競うのではなくあなた自身をゆっくり高めてゆけばいいのです」
 無名の俳人、齋藤節。母を想えば勇気が湧く。お母さんありがとう。

 とあった。




 ほかに筑紫磐井「黒田杏子論ーその新・宇宙論」は「なんと30年前に執筆された原稿です」とキャプションが付されている。「俳句空間」第16号(91年3月刊・上掲写真)その「俳句空間」(弘栄堂書店)は毎号、注目の作家2名の100句選と作家論一篇を掲載していた。この時の、黒田杏子100句選は岩田由美選、黒田杏子論が筑紫磐井だったのだ(この号の編集協力委員は阿部鬼九男・夏石番矢・林桂だった)。その論が本誌に再掲載されているのだ。その論の多くは、黒田杏子の第一句集『木の椅子』に触れながらのものであったが、いまだに出色の黒田杏子論になっていよう。その結びは、

 (前略)その意味では黒田杏子の言葉への関心と実践は、その文学的な志向と、一方で愛好者層の人気を二つながら可能にしているのである。(中略)少なくとも、黒田杏子がこのような言葉の危うきに遊び続ける限り、彼女の芸術的な良心と大衆性が共存し続けるという至福は今後も味あわれ続け得るのではないか。

 と記されてあり、30年前の予言は見事に当たっていよう。以下はその論中の句から、

    鳥の名をききわけてゐる諸葛菜       杏子
    文月やそばがらこぼす旅枕
    この家のまひるは寂し茗荷の子
    涅槃図やしづかにおろす旅鞄
    ダチュラ咲く水中に似て島の闇
    摩崖佛おほむらさきを放ちけり
    瓜を揉むやふたりのための塩加減






★閑話休題・・・各務麗至「壊れやすきは漢よこころは龍を思ひ」(「戛戛」第120号より)・・・


「戛戛」(詭激時代社)は、各務麗至の個人誌である。かつて三橋敏雄を唯一の師としていた人だ。小説家である。今号の「新しい生活」はとりわけ私小説的である。二十年来の妻の透析、加えて脳梗塞。さらには、彼の心筋梗塞による手術、闘病など。その「あとがき」には、

  (前略)妻は、その後ー不自由ながらもできることからすこしづつ動いてくれるようになり、時間や気持に私も少し余裕がもてるようになった。(中略)
 今回一変した日常の中で書きあがった私小説風といいたいような作品だが、私には肩の力が抜けた、何だかエッセー風でもあるこの自由さが気に入った。文学性とか個性とか拘りとか、そういうものを全く意識しなくてよかった。
 言葉遣いやその斡旋に躊躇や息遣いや不安がそのまま文章表現上での文(あや)や奥行きとなって深み重みを齎してくれるようでもあって、否々ー、己惚れてはいけなかった。それは、只単に書き切れていないのに頭の中にに生じる忖度の思いが加わるかも知れなかたのだ。

 とあった。 

 
撮影・鈴木純一「日の球を地に呑み込んで四月尽」↑

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