2020年12月20日日曜日

花森こま「でんでん太鼓言葉が足らなくなってくる」(「逸」43号)・・・


 「逸」43号、表紙の告知には、「永らくご愛顧いただきましたが、諸事情により、不定期刊とします。これまでありがとうございました」とあるのは、事実上の休刊のように思える。本号中の花森こまの作品「手の中の雪景色」には、


   あと少し時間あるらし青嵐       こま

   つぎの世まで何して遊ぶ母子草

   病状悪化いつからこんなにふえた蟻

   まだ生きて淋しや石橋蓮司かな

   車椅子を子に押され積乱雲の下

   てふてふは極彩色に死なんとす


 などの句があれば、病中吟のようにも思え、そうであれば、ご快癒を祈るばかりなのである。たしか、花森こまは愚生より、数歳若いはずだ。昔のことになるが、永田耕衣「琴座」の何かのお祝い会で、西下した時にお会いしたように思える。本復を祈る。そして、「逸」

が再た刊行されることを・・・。ともあれ、本誌よりの一人一句を以下に挙げておきたい。


   あと五分ほどで遠吠え始めます     楢崎進弘

   おみなきてふく口ぶえも霧ならん    木戸葉三

   芍薬に後ろめたさはないだろう     石原 明

   百歳を草牟田川の澄むを待ち     武邑廢杖子

   青草刈られもう長い夢は見ない     花森こま



★閑話休題・・・折井紀衣「千鳥消え海のひびきを残しけり」(「禾」第8号)・・・ 


 季刊同人誌「禾(のぎ)」第8号、その「あとがき」に折井紀衣が、愚生も昔、確かに聞いていた声を記していた。


  もし危険な言い方を許してもらうならば、いわゆる俳句の中には、非常な傑作と、そうでないものとの二種類しかないようである。多くの作家たちが、得意げにふれまわる、いわば中くらいの傑作などというものは、所詮、そうでないものの中に、すぐに埋没してしまうだけである。そして、文字どおり、俳句の名に価する作品とは、その、きわめて稀にしか書かれることのない、いわゆる非常なる傑作をおいてほかにはないのである。(「高柳重信読本」角川学芸出版)


 そしてそれは、こう続いているのであった。「その他のものは、要するに、その作品の作者自身にとってのみ俳句であるが、せいぜい、その周囲の、ごくかぎられた連衆たちにとって、ほんの束の間、俳句であり得るにすぎないのである」(『破産の積み上げ』「俳句研究」昭和40年11月)。とはいえ、俳句形式に魅入られた者には、ある意味、不毛の夢を見つづけるしかないのも止むを得ないことなのである。希望の病というべきか。

 本誌において、楽しみはもう一つある。「禾のふみ」の藤田真一「時雨翁賛」、


(前略)四季が大陸由来だとして、それが詩歌とのっぴきならない関係性に至ったのは、古今和歌集以来である。万葉集では相聞・挽歌・雑歌を柱とし、四季の種別はなかった。春夏秋冬に該当する和歌は、おおむね雑歌にまぎれている。それを自立させたのが、古今集である。この歌集では、四季と恋の部を二本柱とし、以後二十一番目の新古今和歌集まで、この方式を五百年以上、連綿と踏襲した。(中略)

 さて、江戸の俳諧において、古今集に比肩する集としてあげられるのが、『猿蓑』である。虛六の『宇陀法師』に、「猿蓑は俳諧の古今集也」という周知の一言がある。(中略)

 古今集の四季が、春上・下、夏、秋上・下、冬の順に計六巻であるのにたいして、『猿蓑』は季節ごとの四巻ながら、冬、夏、秋、春と異例の配列をとる(連句の巻も同様)。理由は、芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」を巻頭にすえたからにほかならない。また春の末尾を、「行春を近江の人と惜しみける」で終えたのは、その他の歴史と風色をめで、人びととの交情と挨拶をこめたからである。


 と、こう述べているが、さすがに蕪村研究で名のある藤田真一らしく、最後は、「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」の句を『猿蓑』の巻頭にすえたのはだれか、という問いを発しながら、


 こうした芭蕉の秘術を、何気ない顔でうけとめたひとがいた。蕪村である。

  みのむしの得たりかしこし初時雨

 初時雨に見まわれたのは、こんどは蓑虫ということになる。蓑虫なら、すでに自前の蓑があって、いまさら欲せずとも足りている。「得たりかしこし」は、、得意げなそぶりをいう成句。その利用が、即芭蕉への共感とパロディになっている。しかも、タッチはかるい。「蓑虫よ、我汝に与(く)みせん」ともいっている。

 ちなみに本句は、『蕪村句集』冬之部巻頭(・・)におさまっている。愛弟几菫は、師蕪村の俳意に鋭敏だった。


と、蕪村で締めている。ともあれ、本誌本号よりの一人一句を挙げておきたい。


   隙間風よりきれぎれに数へ唄     中嶋鬼谷

   冬の日の抱き直されし赤子の瞳    川口真理

   冬銀河ノートは真白きままつづく   折井紀衣



      撮影・鈴木純一「姫ゆりも姥ゆりも口渇いてをり」↑

0 件のコメント:

コメントを投稿