2021年10月22日金曜日

森田廣「生れ素性は虹の雫や野紺菊」(『出雲、うちなるトポスⅢ/潮鳴り遥かに』)・・・


          

           

 森田廣句画集『出雲、うちなるトポスⅢ/潮鳴り遥かに』(霧工房)、表紙画/疾風(水彩・アクリル)森田廣。装幀・増田まさみ。「いま、ここにーあとがきに代えて」の中に、


 (前略)戦災や大震災等に私事を並べるのは場違いのことであろうが、私は三十歳を少し過ぎたとき、生死の淵をさまよう事故に遭い両腕を失った。一時は死の誘惑に落ちそうにもなったが、時を経て漸く立ち直りつつあった在る日、フランクルの『夜と霧』に出会った。


  ナチスのアウシュビッツ強制収容所に囚われ、非人道的労働に疲れ果て、虐殺におののく人達がはからずも落日の荘厳な光景に見入っていた。と、一人が「世界はどうしてこんなに美しいのだろう」と呟いた。大自然の霊妙な美と、不条理の極限に置かれた人間の存在。それは俳句表現に向かう意識の動かし難い転機となった。天地造花の妙を見せる世界は、他方あまりの悲惨な事象をもたらす。そこに生きる一つの存在。俳句表現もまた「存在」につながるべきものという指標がそこにあった。

 予期せぬ高齢に恵まれ、出来ればシンプルな表現を心掛けたい思いもある。むろん、どんな表現であろうと俳句表現に値することばでなければならないが、更に言えば、その表現意識のもう一つ深みにある何か(・・)をたずねたいのである。その何か(・・)を端的なことばにすれば「いま・ここ」にという思いであり、「刻々のいのち」或いは「刻々の永遠」とも言える思いである。


(中略)なお掲載句は前句画集『出雲、うちなるトポスⅡ』以降の句作品から一二〇句を抄出した。(中略)

 ここ一年半余り、体調ままならず本格的な絵画制作が出来なかった。その間イメージメモとして描いていた小さい水彩に次第に専念していった。極めて小品であるが、私の絵画感覚の地が出ていると思われ、句画集として併載することにした。


 とあった。ともあれ、以下に集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句を挙げておきたい。


   どこまでが出雲の空や辛夷咲く      

   さくら山劫初の眼玉掘りいるや

   鮒の死を離れて告げる花筏

   揚げ雲雀馬はいつまで留守なるや

   汽水外れの白骨の鳥青嵐

   母はきのうトマトを採りにアンデスへ

   銀河から墜ちし流木発火せり

   霧山脈やさしくあれど睦まざる

   煮凝りの幾世からまる篝火や

   十二月八日星空よりイマジン

       *太平洋戦争開戦の日、時を経て奇しくもジョン・レノンの

        仆れし日が重なる。

   方舟と紛う空舟(からふね)夕しぐれ

   人声の人におさまり雪暮れゆく

   雪の上に出雲純系と墨書せん

       *先師小蕾に「われひとや出雲純系雪消えゆく」の句あり。


 森田廣(もりた・ひろし) 1926年、島根県安来市生まれ。



         芽夢野うのき「青柿の青に宿るや老少女」↑

0 件のコメント:

コメントを投稿