2021年10月19日火曜日

高橋修宏「大小の人の柱 の鹹き夏」(「つぐみ」NO.201)・・


 「つぐみ」NO.201(俳句集団つぐみ)、本号の巻頭の「俳句交流」は、「豈」同人でもある高橋修宏「オリンピア」7句と小文。それには、


 もとより俳句における〈定型〉とは、ひとつの拘束である。しかし、その拘束こそが、自己を自由にするのだ。知らず知らずのうちに自己の中に降りつもり、あたかも自然であるかのように馴らされていく日常感覚。そこに亀裂を走らせ、切断し、解き放ち、そして亡命をはかるための装置、それが〈定型〉だ。その場に立ち上がる自己は、すでに日常の時空を生きる主体ではない。死と生、彼岸と此岸、虚と実のあわいに佇む、いわばマージナル=境界的と呼びうる主体―。


 と記されている。本誌には、他に、外山一機の連載俳句評論(85)「『戦火のホトトギス』に思うこと」がある。ともあれ、本号より以下に一人一句を挙げておきたい。


   幽霊を待つ忠犬のいとしけれ          高橋修宏

   草の実や肉食獣を揺り起こす          有田莉多

   秋の虹誰も奪へず誰か消す           安藤 靖

   解体の前にも後にもねこじやらし        井上広美

   汗の背を押されて天の風となる         入江 優

   「いいだんべ」亡夫(つま)のくちぐせ照紅葉  鬼形瑞枝

   金木犀 ポケットに入れて スキップだ     金成彰子

   二百十日水の広場に水あらず           楽 樹

   外国より暑中お見舞い生きてますか       津野岳陽

   山越えの海からの風稲実る          つはこ江津

   しりしり乾く八月の吃音           夏目るんり

   庭仕事終了蜥蜴が見回りに           西野洋司

   大丈夫という人がいる秋のすきま       ののいさむ

   三人が頷くナンバンギセル           蓮沼明子

   順々に木がゆれ合歓の花が咲く         平田 薫

   コスモスの咲いていたよと振り返る       八田堀亰

   母の形見にオロナイン軟膏と終戦日      らふ亜沙弥

   もうだれだか訊けぬ写真秋晴れ         渡辺テル

   白桃を叱りつけてる香具夜姫         わたなべ柊

   「句が痩せる薬有〼」金黙星          渡 七八



撮影・鈴木純一「雑草ト云フ名ノ草ハ無イあっそう雑草みたく生きているだけ」↑

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