2015年8月1日土曜日
「画鬼 暁斎ー幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」展・・・
三菱一号館美術館で「画鬼 暁斎」展が行われている。
河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)は、幕末明治に画鬼と称され絶大な人気を誇ったれっきとした狩野派の絵師である。そして、明治政府にお抱え外国人建築家として来日にしたジョサイア・コンドルは近代建築の父と呼ばれ、上野博物館、鹿鳴館の設計、加えて、現在、再建された三菱一号館を設計をしている。
そのジョサイア・コンドルは暁斎51歳のときに、懇願して弟子入りして(コンドル29歳)、本格的に日本画を学ぶのである。
今回の展示にはコンドルの描いた日本画が展示されている。狩野派の絵師として褒賞を与えられたコンドルは暁斎から「暁」ををとって「暁英」という雅号も与えられいる。
いわば、師弟の絵が、弟子の設計した三菱一号館美術館に同時に展示されるというのも見どころのひとつである。
また、英国コスモポリタン美術館所蔵の暁斎の絵《動物画帖》も里帰り展示されている。
暁斎は、明治3年、書画会で描いた風刺画で筆禍事件を起こし投獄されたころから、一層「狂戯の絵師」の画名が世間にとどろいたらしい。その暁斎は、明治14年、第二回内国勧業博覧会に出品した「枯木寒鴉図」で最高賞であった妙技二等賞牌を受賞し、それまでの作風への評価を覆して、絵師としての正当なる評価をうけることになった。
暁斎が胃癌でなくなったのは明治22年、享年59。臨終に立ち会ったコンドルは37歳だった。翌年コンドルは三菱社の顧問となった。
ともあれ、暁斎のとどまるところをしらない、描きつくされる山水画、美人画、人物画、動物画、戯画、春画、風俗画など、それらの比類ない多才なさまを画鬼と呼んだのだろう。
バショウ↑
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