2015年8月5日水曜日

岡崎万寿『転換の時代の俳句力ー金子兜太の存在』・・・



岡崎万寿『転換の時代の俳句力ー金子兜太の存在』(文學の森)の評論文の掲載順は、ほぼ逆編年順である。
従って、「第Ⅰ部 三・一一と俳句、その新展開(定点分析)」が、もっとも現在的で、かつ当面の変化著しいであろう俳句状況を描き出している。そこでは、戦後俳句の評価をめぐる川名大、赤城さかえと著者の評価の差異についても丁寧に記されている。当然とはいえ、岡崎万寿自身が作品評価に向かう際の姿勢が誠実に明らかに示されている。例えば、赤城さかえのリアリズム論については以下のように記している。

  時代的制約もあろうが、ここでは発想自体、旧ソ連の社会主義リアリズムの問題を、まだまだ引きずっている。俳句の方法はいかなる時でも、政治と歩調を合わせるものであってはならない。それでは国民文芸としての俳句のリアリズムは発展しない。

とりわけ、3・11以後現在までの俳句作品の評価について、新聞投稿欄の句をデータとして処理しながら、「俳句の力」として、いわゆる俳句愛好者、投稿者の作品も選び出し、朝日俳壇における金子兜太の選者としての存在の大きさにも言及している。もちろん、多くの震災詠を生み出している高野ムツオ、照井翠などにも触れている。しかも、年月という時間で洗われていきながら俳句がいかに変容していくのか、ということにも・・・。これらの批評の多くは岡崎万寿の所属する「海程多摩」で発表している、ということも愚生は初めて知った。

そのほか、付論とされた「時代を拓いたプロレタリア俳句の先達 横山林二ーその生涯と俳句・俳論」も貴重なものだった。また、「第二部 戦争と向き合った俳人たちー戦争と人間と俳句の視点」、「第三部 十五年戦争をめぐる俳句のリアリズム小史」など、時代と俳句を読み解いて示唆に富んでいる。
末筆になったが、岡崎万寿のエッセイ「無言館の『無言』」の句を挙げて筆を置こう。

      自画像は青き唇(くち)まげ無言館     万寿

岡崎万寿(おかざき・まんじゅ)、1930年佐賀県唐津市生まれ。



                 キョウチクトウ↑

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