2020年5月16日土曜日
攝津幸彦「懐手犬と月とに触りけり」(「子規新報」第2巻・第78号より)・・
「子規新報」第2巻・第78号(創風社・子規新報編集部)、三宅やよいが連載エッセイを始めたらしい。タイトルは「動物アラカルト 1」である。「犬」「イヌ」などの呼称には差別や蔑視があることなどに触れつつも、ブログタイトルにした句については以下のように記している。
懐手月と犬とに触りけり 摂津幸彦
この句にいる犬は現代の生活のあちこちに存在している犬だろうか。手を差し込んだ懐の闇。その温みは犬の体温のようだが、それと真逆にひやりと冷たい月が並列に述べられているのが不思議だ。手に触れる感触と同時に月に向かって吠える犬のイメージが立ち上がってくるのは「懐手」という古風な言葉の作用だろうか。もはや着流しに懐手をする男の姿も、月に吠える野性的な犬も失われたものであるがゆえに、古典的な犬と月との原風景が呼び起こされるのだろう。
ところで、愚生の年齢だと、犬と言えば、すぐにも思い出すのが、「草田男の犬論争」の犬の句、
壮行や深雪に犬のみ 腰をおとし 草田男
であるが、そうすると、三宅やよいの言うように、たしかに、「(前略)さまざまな俳句にいる動物たちも時代によって違う顏を持っているのではないか」ということになろう。因みに、「懐手」の句は、攝津幸彦第4句集『鳥屋(とや)』(富岡書房、1986年刊)所収。
他に、本号の「子規新報」の特集は「中川青野子の俳句」である。その略年譜に、1962年、松村巨湫の死によって、「『樹海』終刊後も『樹海同人』の自恃をもって以後、他のいずれの俳誌にも属さず」とあった。「樹海」といえば、思い出すのが、彗星のように戦後俳壇に現われ去った、鈴木しづ子の所属した俳誌であった。ともあれ、いまどきは珍しい、中川青野子の自恃に敬意を表して、「中川青野子30句」(小西昭夫抄出)から、いくつかの句を挙げておきたい。
春光の一つが動く乳母車 青野子
青大将消えたる草のまだうごく
石に腰おろして吾も枯れゆくか
書き初めや一といふ字を百あまり
広島忌首突き出して鳩あるく
冷奴まづ直角のところより
雪片のぶつかるもあり日本海
水入れるプールに星のふえうつあり
中川青野子(なかがわ・せいやし) 1926年~2002年、享年77.
撮影・芽夢野うのき「ばら散らす風の名前は俄交尾(にわくなぎ)」↑
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