北杜青第一句集『恭(かたじけな)』(邑書林)、序は中西夕紀、跋は加藤静夫。序文から帯の惹句が選ばれている。それには、
現在の青さんの句には硬軟両極がある。吟行句で見せる硬質な句と、文学的な軟質な句である。
この軟質な句の出現は、これから青さんが、もっと幅を広げていくのを暗示している。
これからが楽しみな第一句集が出た。
とあり、跋の加藤静夫は、
(前略)湘子は「頭で作るな、目で作れ」と言っていたが、その教えを愚直なまでに守り通しているのが実はセイさんだったのかもしれない。小賢しい頭作りの句など見向きもせず、ひたすら目の前に見えるモノに執着し、その本質に迫ろうという一途な姿勢。「鷹」の「北村正」は「都市」の「「北杜青」にみごとに変身したと言っても褒め過ぎにはならないのではないだろうか。
白魚の海の暗さを飯にのせ
初夏の白飯よごしながら食ふ
とは言っても、「敗北」のイメージが完全に払拭されたというわけでもなさそうである。白魚の暗さ、白飯のよごれなどには、順風満帆、日の当たる道を歩いてきた人はあまり関心を示さないようだが、その点セイさんは暗く沈んんだ影(陰)の部分に惹かれる傾向が強いように思えてならない。(以下略)
ここで「敗北」のイメージと言っているのは、北杜青の「鷹」時代の句「敗北の眼なり枯野の競走馬」をさしている。さらに、
俳壇の表舞台で、人目を惹くような句を作っている人だけが俳句に貢献しているというわけではない。浮かれず、目立たず、しかし堅実に俳句を追求しているような人が本当の意味で俳句を支えているのではないだろうか。
とも述べている。ともあれ、本集より愚生好みになるがいくつかの句を挙げておきたい。
棒術の無音の気合鳥雲に 青
西行忌裸の影が服を着る
余花に逢ふふいに遠くに来たやうに
春闌けて紫しるき虛貝
螢火忌雀の羽は日を濁し
薫風やひとかがみをる野の深さ
腰に魚籠流して替へる囮鮎
火を御する僧の火箸や光琳忌
切株の内より朽ちて穴惑
錆鮎の背頭に鰭立てにけり
手をつなぐ子の浮きさうな冬日向
北二十条西五丁目の雪達磨
葱畑や曇天の日の在り処
因みに、「螢火忌」は飯島晴子忌。
北杜青(きたもり・せい) 昭和38年生まれ。
撮影・鈴木純一「エゴの花思わず知らずここに在り」↑
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