「つぐみ」NO.193(編集発行・つはこ江津)の「俳句交流」の山本奈良夫の句に、故・谷佳紀を偲んだ句があった。奈良夫の句「裸木や余白すべては谷佳紀」の「余白」は、谷佳紀の句集名でもあったように記憶している(違っていたら許されよ・・)。その句と同時掲載のミニ・エッセイに、
昭和55年、新宿駅小田急デパート前を谷佳紀さんと歩いていた。「ねぇ、もし『海程』が主宰誌になったらどうする!?」と私。「辞める」と谷さん、「だよね」と私。昭和60年『海程』が主宰誌となり、谷さんも私も辞めた。昭和57年『海程』20周年記念大会以来会っていない。言葉が裏切ってぶっ飛ぶことを俳句形式に希った谷さん。(もう五年です小春のお墓皆子様/佳紀)、(先生のご遺体梅の強い今日/佳紀)みたいな追悼句が書けなくてごめんね。
とあった。「海程」が金子兜太主宰誌になったとき、同時に、原満三寿や大石雄介等、当時の「海程」の中心メンバーの幾人かが辞めている。だが、谷佳紀は兜太の晩年に「海程」に復帰している。同誌同号より、山本奈良夫と「豈」同人でもある、わたなべ柊の句を以下に挙げておきたい。
あいびきの途中で老いる乳房かな 奈良夫
きらめいて”星降る二月″新開地 柊
★閑話休題・・関根道豊「モナリザの微笑みいづこ夏マスク」(こんちえると」第30号)・・・
「こんちえると」第30号(版元/牛歩書屋主人・関根どうほう)の副題というか、同誌のめざしているところが、「私と時代を視つめ 生きている証しを詠む/詠みと読みの協奏/いのちの一句募集」とあり、師系・大牧広とある。本号の特集は「大牧広・一周忌に偲ぶ」である。主な記事は「大牧広句集『午後』ー特集 今日の俳句叢書」(角川「俳句」平成8年5月号よりの抜粋、引用)からの再掲載。林翔「未だ夕暮ならず」、成田千空・飯島晴子・岡井省仁・中原道夫・矢島渚男らの「『午後』の一句」。中原・矢島以外は、その人自身が懐かしく偲ばれる鬼籍に入られている。全体に何やかやと詰め込んだ感じであるが、ここでは、「こんちえると広場」のこども「俳句コーナー」の一人一句を挙げておこう。
えんぴつは3Bがすきかしわもち 若林潤(二年生)
ねこがきたとても楽しい毎日だ 松原明莉(あかり)(四年生)
芽夢野うのき「的のなき青空に撃つ草矢かな」↑
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