2020年5月15日金曜日

三島広志「死の見ゆる人と新茶の話など」(『天職』)・・




 三島広志第一句集『天職』(角川書店)、序は黒田杏子「『天職』の作者」、その中に、

 (前略)「藍生」の賞もほとんどすべて受けて下さっている。何年間も「游気通信」という個人誌も発行されている。その通信を愛読していた私は、この三島広志という俳人が、東洋医学を出発点として、西洋医学その他を含む幅広い手法で人間のいのち、生と死を深く見つめる治療家になってゆかれる過程をまのあたりにしてきた。
 人間のいのちを見つめ、そのいのちをよりよく護り、看とってゆく専門家のひとりとして、日々活動を持続している人物となられたのだ。

 とあった。集名に因む句は、

   天職の一生と想へ石蕗の花      広志

 である。黒田杏子は言う。

 一生と想へ。いつしか作者の心の奥にこのような想念が生まれ、定着してきた。(一生想ふ)ではない。〈想へ〉と書いて、あらためて来し方を振り返る。石蕗の花がよくこの一行を支え、受けとめている。『天職』という句集名を提案したのは、私であるが、この句一句から発想したのでは全くない。この二文字はこの人の治療家として前進を続けるたゆみない人生を遠くから、三十年間選者として見つめつづけてきた私の心にごく自然に浮かんできた日本語なのであった。

 また,著者「あとがき」には、

 句集を編む気は全く無かった。
 人生と俳句を一如と為すのが俳人、明確な意図を持って俳句を創作するのは俳句作家。自分は俳句と適度な距離を置き、生活者として趣味的に関わっている俳句愛好家だ。伝統を掘り下げ未来へ繋ぐ意志もなければ、未開の地を開拓する力量もない。そんな理屈から句集を編む気は全くなかった。

 とあり、それでもそれなりの契機があって、宮澤賢治の次の詩にも鼓舞されたようである。

  手は熱く足はなゆれど
  われはこれ塔を建つるもの

  滑り来し時間の軸の
  をちこちに美ゆくも成りて
  燦々と暗をてらせる
  その塔のすがたかしこし

 私も滑り来た時間の軸のあちこちを記した俳句を、我が塔として句集をまとめようと思った次第である。

  と記されている。ともあれ、集中より、いくつかの句を以下に挙げておこう。

  朝顔や焦土を知らぬ足の裏
  穀象のしんしんと這ふ月明り
  いつからを夕空といふ桐の花
  寒月や皿にかたよる剥きたまご
  冬の雷大都の塵にまみれむと
  胎内も命終も闇こがね虫
  本の蛾をやさしく強く吹き飛ばす
  雪霏々と地表すなはち天の底
  生き延びし父の早世原爆忌
  遠山櫻治らぬ人に触れてきし
  朝櫻濁世に生きてこののちも
  炎天を来てまた戻る処世かな
  また一人看取の汗を拭きて来し

三島広志(みしま・ひろし) 1954年、広島県生まれ。



          撮影・染々亭呆人「円光寺・原民喜の墓」↑

2 件のコメント:

  1. 大井様:

    ここに取り上げた頂いた三島です。そして驚きました。
    やはり作品は読まれることを願っているようです。
    ありがとうございます。

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