池田澄子第7句集『此処』(朔出版)、集名に因むような句がいくつかある。例えば、
此の世の此処の此の部屋の冬灯 澄子
こころ此処に在りて涼しや此処は何処
秋蝶のゆきどころないように其処
また此処で思い出したりして薄氷
柚子の皮刻み此の世よ有り難う
「後記」の中に、
八歳の夏、かの戦争で父を奪われ、人は死ぬ、死は絶対であると知って以来、此の世の景の儚さを忘れることができない体質になったようだ。偶々人に生まれ多くの人に出会い、その先にある別れの怖ろしさに、一瞬の現象をも含め様々の出会いを深く意識し、別れを怖れる自分をも眺めながら生きてきたようだ。二〇〇一年に師が逝き同じ年に育ての父が、そして母、そして夫が逝った。逆縁は許さぬと夫々に申し付けてあるので、あとは自分の死だけである。
自分の死は怖くない。
とあり、
(前略)そしてある日、思い付いてしまった。句集を纏めることで自分を区切り、僅かの未来を、死別に怯えずに一度生きてみたいと。
とあった。 池田澄子も思えば遠く来たものだ。中原中也は、続けて、「十二の冬のあの夕べ」と詠ったが、池田澄子は、さしずめ「八歳の夏の夕べ」だったのだ。とはいえ、愚生はまだ未練たらたら、此の世に執着して、「生きてゆくのであらうけれど/遠く経てきた日や夜の/あんまりこんなにこひしゆては/なんだか自信が持てないよ」である。
ともあれ、集中より、愚生好みの句をいくつか、以下に挙げておきたい。
空気より大地儚し鳥の恋
三月十一日米は研いで来た
大雑把に言えば猛暑や敗戦日
天高く柱燃えたり流れたり
ゆく河も海もよごれて天の川
敏雄忌の鈴に玉あり鳴らしけり
踊り場で家人と会いぬ遠花火
生まれ順死に順返り花真っ赤
三月寒し行ったことなくもう無い町
冷蔵で供花着くメッセージも冷えて
行きたくない処へ行く日茄子の花
さくらんぼ彼の世も時の流るるか
海底は渚に尽きて天の川
この家も遺影は微笑ささめ雪
池田澄子(いけだ・すみこ) 1936年、鎌倉市に生まれ、新潟で育つ。
撮影・鈴木純一「あとはもう蛍袋も待つばかり」↑ |
大井さま。東野です。「獣園」の月沼特集の号をお持ちでしたら、そのコピーをいただけたらと願っています。
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