2020年5月22日金曜日

大久保橙青「長き藻をなびかせてゐて水澄めり」(『大久保橙青全句集』より)・・



 大久保白村編『大久保橙青全句集』東京四季出版、帯の背に「句集八冊完全収録」とある。またその惹句には、

 初代海上保安庁をはじめ、日本政府の要職を歴任した大久保武雄、俳号「大久保橙青」。その俳句は定型に徹しつつも、自由闊達で独特の魅力に満ちている。政治家として、戦前戦後の激動を生き抜いた足跡を辿る全句集。

 とある。面白いのは、第一句集『火山』(昭和28年刊』の高浜虚子の序文を、第二句集『霧笛』(昭和38年刊)、第三句集『探梅』(昭和55年)、第四句集『野火』(昭和57年刊)まで、繰り返し同じ序文を掲げていることである。さすがに、第五句集『探梅以後』(平成3年刊)では、稲畑汀子になっている。その稲畑汀子は、遺句集となった第七句集『老いの杖』(平成9年刊)には、序に代える弔辞をしたためている。それには、

 (前略)まこと橙青様は、まなざし高き人であり、姿勢の正しき人であられました。橙青様の御生涯が、人間の到り得る可能性という意味で私共に大きな希望を与えて下さったと思うのでございます。(中略)

   ふるさとの阿蘇の小春に杖曳かれ   汀子

 とあった。第一・第二句集と、橙青が「民衆の芸術である俳句の本は、民衆のポケットに入るべきだ」と言い、いずれもポケット版だったという。他の序文には、富安風生、中村汀女、星野立子、志摩芳次郎など、錚錚たる面々である。また、俳誌「若葉」に掲載された晩年の句を、「若葉」一千号記念のために大久保白村が編んだ第八句集『正義仁愛』(平成25年)の序文・毎日新聞社政治部 山田孝男「霧深く、嵐強くとも」のなかに、

 (前略)この人は熊本の生まれ。逓信省の役人にして高浜虚子門下の俳人だ。
武装解除された日本は、同胞の船が中国、朝鮮、ソ連に拿捕されても手出しができない。大久保は米軍の専門家に学んでアメリカ沿岸警備隊を研究。海上保安庁を設計し、四十八年、初代長官に任命された。(中略) 
 長官在任中の五十年、朝鮮戦争が勃発。大久保は米軍の要請に基づき、吉田茂首相(当時)と協議の上、極秘に元山(ウオンサン・いまの北朝鮮東岸の港)沖へ掃海艇部隊を派遣、二十五隻中二隻沈没、死傷者十九(死者一)という犠牲を払って任務を果たした。
 この作戦は国連軍の上陸を助けた。(中略)憲法違反のの海外派兵だから、すべて秘密。吉田は占領軍や国内にくすぶる再軍備論をハネのけたが、裏では大久保と連携、反共・親米の筋を通した。側近の白洲次郎にさえ死ぬまで明かさなかった。

 という。これを読むと、戦後日本の、戦争による死者が出ていないという、一見もっともらしい言説は誤りだと理解できる。戦後すぐに、まったく秘密にされ、秘匿され、名誉にならぬ戦死を遂げた人が存在したのだ。ともあれ、全句集よりアトランダムにいくつかの句を挙げておきたい。


   黄金と呼ぶ礁(いくり)あり春の海      橙青
   押し花の竜胆色を失はず
   火の国の水美しや芭蕉林
   南風やするする揚る長官旗
   鷹舞うて阿蘇を遮るものもなく
   母恋し秋海棠に立てばなほ
   菊挿せば母のおもかげ菊の上に
   国会をぬけて涼しき句会かな
   わが道をひたすらに行く春の虹
   花吹雪やみ一片の落花舞ふ
   枯草を飛び移りゆく小蜘蛛かな
   雨強き室戸の春を惜しみけり
   天草の遅日の島の散らばれり
   後の月仰ぎ生涯一学徒
   笈負ひて出しふるさとや鳥雲に
   九十を一つ越えたる春を待つ
   
 大久保橙青(おおくぼ・とうせい) 明治36年11月24日~平成8年10月4日、熊本市生まれ。


撮影・芽夢野うのき「夜通しを蒼ざめ紫陽花の孤独」↑

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