中村猛虎第一句集『紅の挽歌』(俳句アトラス)、跋文は林誠司「天賦の才」、その冒頭に、
猛虎氏に俳句を奨めたのは私である。二十代の頃、勤務していた会社の同年代の人たちを誘い、句会を始めた。私だけが経験者だったので、当然、自分がリーダーになるつもりでいたが、彼はほぼすべての句会で最高点という活躍を見せた。大胆さと繊細さが入り交じる、詩情ありユーモアありの多彩な作品で、俳句的手垢が全くないのに、不思議と深みのある詩情を持っていた。
と記されている。また、著者「あとがき」には、
(前略)姫路には、松尾芭蕉が「おくのほそ道」道中で使ったとされる蓑と笠が残されている。納められていた風羅堂は明治期に焼却処分され、芭蕉翁を第一世とする堂号は長らく途絶えていたが、縁あってニ〇一一年秋、六十九年振りに風羅堂十二世として名跡を私が継がせていただくこととなった。
とある。しかし、なにより本集は、「早逝の妻に捧ぐ」一本なのだ。それは巻頭にモノローグを据えていることからも明白であろう。
始まり
2017年8月、妻が脳腫瘍からの髄液播種で余命宣告を受けた
残された時間は6週間 まだ54歳
始まりは1年前の「おなかが痛い」だった
診断結果は卵巣がん ステージ3、試験開腹したが癒着がひどく、
ガン切除断念、薬での治療がはじまった
さくらさくら造影剤の全身に (中略)
奇跡
癌の激痛と闘う妻、医療麻薬でも痛みは治まらない
「殺して」と口走る妻
緩和ケアの医者も俺も絶望的に無力だ
もちろん殺してもやれない
ところが、9月、嘘のように痛みが引き、リハビリ室まで歩く練習まで始めた
やっぱり治るんだ、犬をもっと大事にするんだ
終焉
だが、容態は急変
わずか3週間で、動くことができなくなった
最期は自宅で、と連れ帰った日の明け方、安心したのか、
天国に旅立ってしまった。
10月9日午前6時3分、享年55逝く
もっともっと、何かしてやれなかったか?
奇跡なんて起こらなかった
黒犬は、今日もひたすらエサを食い続けている (中略)
寒紅を引きて整う死化粧
極月や人焼く時の匂いして
木枯しの底に透明な柩
ともあれ、他に、本集より、いくつか愚生好みの句を挙げておこう。
この空の蒼さはどうだ原爆忌 猛虎
霜柱人は殺める言葉持つ
冬の日をまるめて母の背に入れる
母の日の大丈夫大丈夫大丈夫
ひとりずつカプセルにいて花の雨
僕たちは三月十一日の水である
シュレッダーにかけてもかけても凩
余命だとおととい来やがれ新走
中村猛虎(なかむら・たけとら) 1961年、兵庫県生まれ。
こんにちは。『紅の挽歌』とりあげていただき、ありがとうございました。
返信削除ご無沙汰しています。世情は危険がいっぱいのようです。御自愛を!
返信削除お世話になります。中村猛虎です。この度は拙著「紅の挽歌」にコメントをいただき
返信削除誠にありがとうございます。なお一層精進いたしますので、今後ともご指導のほど
よろしくお願いいたします。