「轍」5・6月号100号記念(轍発行所)、表2の大関靖博「『轍』百号を迎えて」のなかに、
私は今年で俳句を始めて六十年目に入るが俳句をやってきて本当に良かったと感謝している。芭蕉は俳句は〈老人の文学である〉と言っているが、前期高齢者の一員として実感をもって成程そうかと快哉を叫びたい気持である。なぜなら俳句は〈大道無門〉なのだ。本来は仏法についての精神を述べたものであるが、俳句にもぴったりとあてはまる。つまり俳句の大道を自分のものとするための一定の方法はなく、あらゆるものがそこに到る手段たりうるのである。俳句はその気になればいつでもどこでも何歳になっても入門可能でありその奥底は無限であるから、生きている限り粉骨砕身努力しても際限なく各自の環境に応じて続けることができるのだ。
とあり、また、
『轍』は清く正しく美しく〈清貧の文学〉を貫いてきたが、百号に到っても全くブレがないことを実感して個人的には嬉しい限りである。
という。ともあれ、本号記念特集「同人特別作品」から、恣意的だが句を挙げておきたい。
枯蓮に雨の残念無念かな 大関靖博
かくれんぼする子らの影囀れり 大橋俊彦
百才爺(じじい)スクワット五回十日延び 山内一申
花冷や体温計のまだ鳴らず 潮 仲人
亀鳴くや特筆すべきこと無き日 大塚隆右
春めくや欠伸のやうに水輪生るる 福田喜美子
初みくじ恋は成就と百二歳 斎藤弘行
とぶ道のあるかのやうに赤蜻蛉 浅野幹風
鯖酒の蒼き炎を呑みにけり 酒井升人
露の玉天の雫を葉に受けし 高橋サク子
萌葱色の野辺に遊行の吉野雛 小野寺昭一
観音の千手数ふ子日永なる 冨板公子
植木市轍に水の光りけり 山部淑子
目に青葉上毛高校一位の木 山本 洋
大草鞋担ぎ上げたり山笑ふ 伊東ゆみ子
涅槃図や鳥獣虫魚みな嗚咽 滝ヶ崎正之
還りこぬつはものどもや敗戦忌 冨山敏夫
そらみみか泰山木の花割る音 鎮守佳子
千輪菊彩の重さを浮かせけり 竹尾志眞子
卒業式出来ぬ校舎の廃墟めく 小林京子
生きること安堵につつむ花筏 服部 治
畝傍陵より始まる春の朱印帳 大関潔子
我が胸に一人逃げ来し鬼やらひ 関根初男
雪国の空描き雪に逝きし画家 杉崎時秋
野に伏せる万物春を動き出す 助川文朗
クレーンい高き現場の鯉のぼり 東 弘子
目覚めれば宇宙に発すいぬふぐり 木村陽子
撮影・芽夢野うのき「光あれオニビシの鬼さびしかり」↑
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