2021年2月11日木曜日

渡辺誠一郎「わが息は飽きずに続き春の宵」(「小熊座」2月号より)・・・


  「小熊座」2月号(小熊座俳句会)、特集は渡辺誠一郎句集『赫赫』(深夜叢書社)、内容は、自選二十句、論考は堀田季何「俳と詩とみちのく」、豊里友行「溢れ出る生命賛歌と現代社会詠」、駒木根淳子「再生の声」。一句鑑賞に小山玄黙、板倉ケンタ、浅川芳直、菅原はなめ。興味を持たされたのは、自選20句と、論考と鑑賞者の選ぶ句に、若干の齟齬が生まれているように思えたことである。評者の方の多くは、句集において赫赫たる戦果になるようなはずの句を挙げているように思えるが、自選の句はおおむね静謐さに軍配をあげているようにも思える。ホントは逐一例句を挙げるのが礼儀であろうが、愚生にはその力量に欠けるゆえ、あくまで印象的に言っている。愚生が自選句の中から選ぶとすれば、ブログタイトルに挙げた句と、


   原子炉を遮るたとえば白障子     誠一郎

   戦前の前も戦後や秋扇

   草木に手足がなくてただ暑し

   天山も冨士も土くれ一茶の忌

   みちのくのどれも舌なき菊人形


 あたりだろうか。なれば、この先の道は細い。しかし、その細い道をたどることこそ、これまでにない膂力が必要とされるのではなかろうか。確か、渡辺誠一郎は、攝津幸彦の句に対して、かつて「ある時代を本歌取りしてみせているのだ」と言ったことがある。これは当たっていると思う。なれば、渡辺誠一郎句の手がかりもこのあたりにあると思えないわけではない。愚生が最初に渡辺誠一郎に会ったのは、たしか,佐藤鬼房がまだ健在だった「こぐま座」5周年のシンポジウムに招かれて、塩竈に行ったときではなかろうか。あれから、たぶん30年以上の月日が沈んでいる。そして、もう一つ「《そして、》」(下の写真は攝津幸彦追悼号、これで終刊した)という小さな冊子を出していた時期がある。



 「《そして》、」は、不定期? 毎号持ち回りで「キーワード」の題が出され、それには、いつも即吟で出すようにしていた愚生だが、亡き佐藤きみこと、渡辺誠一郎の尽力で発行されていたように思う(そして、仙台に居を移した橋本七尾子と・・)。冊子のデザインは渡辺誠一郎だった。その後も、自身手作りした豆本の句集を贈って頂いたこともある。思えば、遠く来たものだ。

 ところで、楽しみにしている同誌の連載で、後藤よしみ「高柳重信の奇跡」は20回目「初投句」を迎えた。いまだ少年時代からの高柳重信(恵幻子)の道行だから、相当に長い読み物になりそうである。ともあれ、主宰以下、同誌同号「極星集」より、一人一句を挙げておきたい。


  震災遺構校舎わけても米こぼす      高野ムツオ

  草丈を越えぬ淋しさ草氷柱        渡辺誠一郎

  海光にまみれて蘆の枯れ極む       土見敬志郎

  雛本そのまま冬の鳥になる         沢木美子

  狐火が赤色灯の狭間より          高橋彩子

  冬ともし地獄巡りの靴を履き       津髙里永子

  枯葉のかさかさ朽葉のぐにやぐにや     我妻民雄

  穂草分け金色(こんじき)の雉子歩む    阿部菁女

  レノン忌のカセットテープ空回り     郡山やゑ子

  歌舞伎町酒場「火男」に鯨鳴く       増田陽一

  足音の返って来そう冬青空         佐藤みね

  労いを労われおり一茶の忌         吉野秀彦



        芽夢野うのき「きっと鈴懸の実は通りすがりの君」↑

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