2021年2月19日金曜日

西東三鬼「秋の暮大魚の骨を海が引く」(「「図書新聞」3481号より」)・・・


  「図書新聞」3481号・2021年、1月30日(武久出版)に、神田ひろみが「芭蕉から西東三鬼までー現代の俳人たちの上に、今も生き続けている芭蕉を実感させられる重厚な評論集」と題して、堀切実著『芭蕉を受けつぐ現代俳人たち』(ぺりかん社)の書評を寄稿している。その中に、


 (前略)第三章「『切字』の働き」に、氏は『三冊子』の中の「五七五という句構造には『切れ』が絶対的に必要なのである」が「形式的に切字を入れても、切れの働きがなければ、発句(俳句)とはいえない」という芭蕉の言葉を伝え、切字論はすべて「この芭蕉の逆説的切字説をめぐって展開されてきた」と述べる。そして川本晧嗣氏の「切字論」(『芭蕉解体新書』所収、平成九年)と、それに対する藤原マリ子氏の「切字小考ー切字論の再検証」(『江戸文学』26号、平成一四年)、井上弘美氏の「芭蕉句、切れの構造ー川本晧嗣の『切字論』の検証を通して」(『連歌俳諧研究』一〇九号、平成一七年)などの論を紹介し、「なお多角的に再検証する余地はあるだろう」という。


 と述べられている。これらの切字論などを、網羅し、評した著書がある。高山れおな著『切字と切れ』(邑書林・平成31年)である。それは切字の誕生(平安~鎌倉時代)から平成時代の切字論まで、最終的に「切れという夢」として批評し、提示してみせたものであった。ところで、堀切実には、類似した同様の著が以前にもある。井上弘美主宰誌「汀」に連載されたもので、『現代俳句に生きる芭蕉ー虚子・波郷から兜太・重信まで』(ぺりかん社・平成27年)である。



 本著の巻尾には「『俳句即生活』説と『心象造型』論ー高柳重信と波郷観」が収められいる。話題は横道にそれるが、愚生が聞いた話では、「俳句評論社』には、「三鬼のベッド」というのがあって、三鬼が上京すると泊まっていったらしい。飲み仲間としても、三鬼・波郷・重信は親しい間だった。その波郷と重信について、


  近、現代の俳句表現史において、従来の俳句概念を決定的に打ち破って出現した俳人高柳重信の存在は異彩を放っている。

  身をそらす虹の

  絶巓

      処刑台    (蕗子)

 髙柳のこうした三行もしくは四、五行による多行形式俳句のねらいは、イメージの屈折と重層性による暗喩的な表現世界を確立させることにあった。それは子規以来の写生主義的な近代俳句への一つの挑戦であり、同時代における既成の俳句表現法からの超克を図るものであった。(中略)

  頭の中で白い夏野となつてゐる    高屋窓秋

  秋の暮業火となりて秬は燃ゆ     石田波郷

の二句をあげて、当時、二十二歳の窓秋、波郷が、昭和の新しい時代の到来を告げる二人であったと評している。(中略)

 伝統的な俳句形式に挑戦して多行形式俳句を実践した高柳重信が、その伝統的な形式に献身した波郷の姿勢に賛辞を贈っているのである。(中略)それは要するに、波郷の「俳句即生活」の句境ーいわば日本的な俳句の世界を理解しつつも、そこから脱皮して、昭和の「現代」の文芸にふさわしい新たな俳句の可能性を探ってゆこうとする姿勢を示すものなのであった。

 

 と記され、締めくくられている。愚生が思い起こすのは、あるとき、重信が「俳句は比喩ではダメだ。一句が書かれ終って、結果的に、一句が比喩的にも読める、ということであればいいが、最初から比喩として書くのはダメだ」と言っていたのを句作のたびに思い出すだ。



    芽夢野うのき「花山羊をさがしにきたり吊るし雛」↑

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