「コスモス通信」とりあえず34号(発行者・妹尾健)、今号は二つの論考がある。一つは「松永貞徳『戴恩記』を読む②」 と、もう一つは「題詠和歌の訓読みについて」。貞徳の部分をみてみると、
(前略)そこで貞徳は、切紙(きりがみ)目録を引いている。「切紙」とは「重要な秘伝を一項目ずつ一葉の紙に書いたもの(小高氏注)である。
切紙目録少々
一、玉代の秘目 一通
題のよみやう 一七通
官名 一通
四題 一通
歌人の名のよみやう 一通
年号のよみくせ 一通 (中略)
これらは相伝としてつたえられたものであるが「定家卿より幽斎法印まで、一器の水を一器にうつすやうに、口づから伝へ給しなり。」というものである。(中略)
幽斎の
月こよひ音羽の山の音にきく姥捨山の影も及ばじ
について川田順氏はこう述べておられる「月こよひという歌言葉は、古典にはなかった。幽斎もとより連歌を試み発句も作ったので、その方の言葉遣いが和歌にも利用されたと愚考する。この一首戦国時代から始まった和歌と発句との関係の一端をしめすものである。」(川田順『細川幽斎』)幽斎の弟子である貞徳にとっても、この一首との関係はこれまでにないあたらしい和歌の内容を表現したものといえるものではなかったか。
そうして、次の「題詠和歌の訓読みについて」では、
(前略)大取一馬氏はこう解説しておられる「訓題とは、たとえば『尋花』という題を『タヅヌ花』と訓むか、花タヅヌルとよむかといった歌題のよみ方についての問題であって」といわれている。つまり「題そのもの」のよみ方ということになる。(中略)
これを「山早春」やまのそうしゅん・「海早春」うみのそうしゅん・「都早春」みやこのそうしゅんなどとよんでいくのが、この時代のよみ方というのである。和歌の題詠化が盛んになるにしたがってますます技巧的になり知識化していった様が、これによって分かってくるのである。
という。この通信の、もう一つの愚生の愛読コーナーであるエッセイ・秋華「私の桂信子研究⑤」の題は「記憶」で、句と文は以下である。
冬波のひびき記憶の奥処より 桂 信子
(中略) 先生はこの句をいつお作りになったのでしょうか。私は、もうベッドの中でお休みになる前ではなかったかと思います。「冬波のひびき」とは、繰り返し心に響く音です。もしかしたら、熱を出して臥せっていた時の幻聴、波の音が蘇ったのではないかと思ったりしています。
ともあれ、妹尾健の句日記からいくつかの句を挙げておこう。
冬ごもり嘘をつきつつ嘘返す 健
虚実皮膜定家偽書群毛布引く
みごとなるおおくさめあり隣家より
初電話ずるりとうどんすする音
枯蔦の人の気配のほしき家
芽夢野うのき「花アロエ一部はなからツンとたつ」↑
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