「連衆」89号(連衆社)、「編集後記」に、「本誌に初めて登場する多行様式の俳句」とあった。ここでは、多行様式と記されているが、多行俳句という人もいれば、多行表記という人もいる。多行の句は、短歌では啄木などがいるが、俳句の多行の歴史も、自由律俳句などとともに、戦前に遡る。上田玄の多行は、今回のみを通覧すると、あきらかに高柳重信が到達した4行を基本とする多行形式である。それは、林桂が言っていていたと思うが、この4行表記を行えば、一行棒書きの俳句と同じく、極端に言えば、誰でもが継承可能な、ある意味で形(かたち)が書かせてくれる俳句になる、というものである。しかし、形(かたち)は同じでも、高柳重信が描いた世界と上田玄の描く世界は大きく違う。上田玄にはめずらしく、その方法について本誌の「多行式俳句をめぐる私考」で述べている。
私が念頭においているのは、新興俳句時代の渡辺白泉の「戦火想望俳句」といわれる作品です。(中略)
生きていく上でどうしても直面する人間の社会性という面では、人は、善も悪も判別できないほどの矛盾を抱えているのだということ、その引き裂かれかねない切実さこそが表現衝動だ、と私もまた思っています。(中略)そして私の多用する空白行は、そうした相反するものの乱反射を、そのままに内包させたいという思いからのものです。説明しきれないもの、説明しようとしたら零れかねないものをこそ、大事にしたいのです。
続けて、蛇足ですが、と断わりながら「有蓋貨車」について「ある時代ある地域では、その中に人が積み込まれたのです」と述べられているのは、シベリアのことのように思える。
ツンドラ鉄路
薄暮暁闇
連結す 玄
鎌
槌
呼笛(よぶこ)
月下に黙(もだ)す
上掲句などは、あきらかに、カマ・トンカチといわれたソ連国旗を表していよう。次の最後の句には、自嘲も伺える。
レーニンに
帰依し
十九歳の
世界地図
レーニンこそは、革命の英雄であり、それを受けついだスターリンは、まさにスターリニズムを生み出した、本質的には、自由とは相容れない反革命である。革命は絶対自由のためには永続的、永遠になされなければならない。「十九歳の地図」は中上健次の小説の題名、その小説のなかに「死ねないのよお」「なんども死んだあけど生きているのよお」と呻くシーンがある。レーニン(=ボルシェビキ)に帰依とは、なんと皮肉な言葉だろう(あるいは、上田玄19歳のときの回想かもしれない)。これらの句を読むと、上田玄は、たぶん、愚生などよりはるかに厳しい現実を這うように生きてきたにちがいない、と思う。それらの現実的な悲惨を高柳重信は、象徴主義的に作品に昇華してみせた(大手拓次曰く、象徴主義ここそは現実に根を持っている)。
ともあれ、本誌より、昔の「豈」関係者も含めて谷口慎也の一人一句を挙げておこう。
有蓋貨車
肩肘凭れ
火の残夢 上田 玄
秋口からの順路に闇を差し入れる 夏木 久
鬼おこぜアバンギャルドを先導し 羽村美和子
冬の雨親しき棘に飢えのあり 加藤知子
「愛よね」「いいや愛だよ」皇帝ダリア 鍬塚聰子
脚あげることはなさそう凍蝶は 谷口慎也
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