2021年2月28日日曜日

仲寒蟬「国に似てこの霜枯のどこまでも」(「牧」第5号)・・・


 「牧」第5号(牧の会)、木村晋介の「編集長対談」、今号は「宮部みゆきの巻 その一」である。サブタイトルに「宮部みゆきと俳句。そのルーツに迫る」とある。その冒頭の質問に、


木村 (前略)なぜ、俳句に興味を持たれたのですか。

宮部 倉阪鬼一郎さんの「怖い俳句」を読んだのがきっかけです。私、かろうじて、北村薫さんの「詩歌の待ち伏せ」だけは読んでいたのですけれど、自分では詩歌には興味なかったんです。(中略)

木村 ひきこまれたのはどのあたりですか。

宮部 もちろん怖いという一貫したコンセプトでまとめたアンソロジーなわけですけれど、取り上げられている句のレベルが私たち俳句の素人からみても高い。そして倉阪さんの一句ごとの鑑賞が文芸として素晴らしい。その上、私たち素人からすると、俳句の歴史の勉強までできるんですね。芭蕉や子規から始まって現代まで、時代ごとにブロックされて句が紹介されている。これはすごいと思いました。(中略)

木村 「怖い俳句」の中から宮部みゆきが感動した一句をあげるとすれば。

宮部 いい句が沢山あって、選ぶのは難しいんですけど、帯にある

    首吊りの木に子がのぼる子がのぼる    高岡修

  これがまず凄いですし、

    冬菫少し高きは縊死の足        坂戸淳夫(中略)


 その次に木村晋介が「一番怖いと思ったのは、高野素十の『もう誰もいない地球に望の月』とあるのは、正しくは、山﨑十生の句である。 というのも、倉阪鬼一郎も山﨑十生も、愚生が所属している同人誌「豈」のメンバーだから、偶然に、この句が愚生の記憶に残っていたからである。因みに、倉阪鬼一郎『怖い俳句』は幻冬舎新書。

 その他にも、連載物が充実していて、仲寒蟬「大牧広の昭和・平成」(4)、櫂未知子「ミチコの部屋(4)/ヘンタイ」、小泉瀬衣子「某月某日 大牧広の日記より」(5)など。そして、「3・11特別寄稿」には、石巻市在住の菊池修市「十年が過ぎようとしている」、武山平「生かされて十年」があり、大震災の地に住み俳句を詠み続けている多くの人たちの句も紹介されている。ともあれ、以下に本誌より、アトランダムになるが、いくつかの句を挙げておきたい(牧作品集への掲載が入稿順というのも面白い)。


   鮟鱇の中では比較的美男        仲 寒蟬

   寝釈迦にも動体視力春の蝶       木村晋介

   廃炉なほ四基抱へて山眠る       對崎芙美

   鳥の恋手旗信号だとしたら       近藤山猿

   三・一一受付に置く清め塩       関根道豊

   豆撒きの鬼が遅刻をして来る      波切虹洋

   検眼の円の切れ目は雪景色       大部哲也

   白昼も隕石は降る石蕗の花       早川信之

   昨日ありしところに今日の木の葉髪   庄子紅子

   貧困をコートに包み渋谷女子      菊池修市

   梅ひらく蕊に満ちゆく光の詩      山﨑百花

   さしすせそと降りざじずぜぞの雪よ  小泉瀬衣子

   好きだから喧嘩するのよ猫の恋     能城 檀

   あの日二時四十六分春の午後     長谷川洋児



         芽夢野うのき「アリスの森のうさぎ少し春の風」↑

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