2021年2月17日水曜日

夏目漱石「有る程の菊投げ入れよ棺の中」(『金尾文淵堂をめぐる人びと』より)・・・

 


 石塚純一『金尾文淵堂をめぐる人びと』(新宿書房)、金尾文淵堂、どこかで目にした名だと思った。巻尾の刊行図書目録年表を見ると、1901(明34)年に『俳句問答 上』(獺祭書屋主人(正岡子規)とあった。備考欄に俳書堂と合同出版とある。また「尾崎紅葉が来阪し、金尾は紅葉と徳田秋声に千日前で馳走」ともあった。当時の書影をみると背の下に「俳書堂 金尾文淵堂」と記されている。石塚純一は「はじめに」の末尾で、


 (前略)金尾文淵堂は近代出版文化形成期に活躍した。現代出版界の諸状況は、昭和初期に本の大量生産・大量販売が可能となった円本時代を起点とするものなので、金尾文淵堂はそれ以前のいわば黎明期の出版のありようを伝えている。この当時、本づくりはどのようにおこなわれたのか、出版社と著者の関係をたどり、できることならば一冊の本が生まれる場に立ち戻りたい。断片を重ねあわせるようにして進まざるをえない。金尾文淵堂を通して出版社の果たす文化的意味を探ってみたい。


 と記されている。また「あとがき」には、


(前略)東京の出版社を辞し、札幌に来て八年になる。学生たちに出版や本についてごちゃごちゃと語っているうちに、出版が文化に果たす役割の少なからぬ重さに気づいた。編集者時代には仕事に追われ、何をやっているのかわからぬ日々もあった。しかし、著者と語り合うのはもちろん、資料集め、撮影に出張し、図版の描き起こしを依頼し、装丁家と打ち合わせる・・・金尾文淵堂の本を調べながら、一冊の本が仕上がっていくときの喜びがよみがえってきた。この八年の間に出版の環境は加速度的に変化した。皆がデジタル化の未来を語るうちに、「本とは何か」という嘘のような問いに直面せざるをえなくなったことは、季刊『本とコンピュータ』の八年間の記事によく表れている。デジタル技術とともに編集者の仕事も変化し、印刷所の仕事も、校正者の仕事もすっかり変わった。活版・木版時代の金尾文淵堂の本と、現代の本とは形は同じでも別物といえるかもしれない。

 私たちに親しい本は、長い歴史のうねりの中で形づくられ、変化し継承されてきた。作品は出版社を通してはじめて「作品」になり、書き手は出版社によって「著者」となる。そういう制度を近代の出版がつくってきたわけだが、その関係性が揺さぶられている。出版者を中抜きにし、書き手と印刷会社だけで本をつくることは十分に可能であり、そういう方向へと進んでいる。(中略)

 それは書物とは何かという問いでもある。


述べられている。この本の出版年は、2005年2月で、すでに15年が過ぎ去っているが、その間にさえ、パソコン、インターネットの普及で、まさに、さらに急速に変貌しつつある。WEB版の本もある。愚生のような者には、もはや、そうしたデジタル化にはついていけないし、むしろ、ゆうくりと時代遅れを楽しみたいとさえ思うようになっている始末だ。

 「第五章 挿画考ー所縁の画家たち」では、


 金尾文淵堂の本からは、造り込まれた編集の情熱が伝わってくる。テキストだけが重視されるのではなく、装丁や口絵・挿絵。本文活字組みや凸版・木版・コロタイプ・石版印刷、製本のそれぞれが主張を持ち全体として「モノ」としての存在感を発散している。

 本絵と挿絵という差別が固定され、美術館や美術学校が整備されファインアートの価値が高まる反面で、総合的な技術の枠である工芸が低く見られるようになる過程と、文学・小説本から挿絵が消え、本がテキスト中心に編集されていく過程とは平行している。

 金尾文淵堂の本は、近代と現代の二重の転換期における「本」の存在意味を問いかけてくる。


 と述べられている。金尾文淵堂(かなおぶんえんどう)は明治から大正期に活躍した版元で、その主人を金尾種次郎(1879~1947)といい、奇人にして、『仏教大辞典』で破産するが、めげずに美しい本づりのために産を投げうち、与謝野晶子、薄田泣菫、徳富蘆花、木下尚江など、多くの著者画家たちと交流したという。ブログタイトルにした漱石の句「有る程の・・」は、大塚楠緒子が36歳で病死した際に手向けられた。楠緒子の新聞連載長編小説『露』の出版を、金尾種次郎から漱石が橋渡しを頼まれていたらしい。ここでは、「あとがき」に記されている、新村出の金尾種次郎挽歌(墨書)を引用しておきたい。


  冬こもり春をも待たて痛ましく 老木の梅の折れにけるかも     新村出

  塵もなく眞澄みの水の静もりて 汲みて尽きざりし文のふか淵

  道のため心こめにし数々の 書ととこしへに君をつたへむ

 

 石塚純一(いしづか・じゅんいち) 1948年東京生まれ。



           芽夢野うのき「水鳥の左脳でおよぐ月の下」↑

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