2021年3月25日木曜日

田島健一「初詣おくへ進むと明るい墓地」(「川柳スパイラル」第11号より)・・・


 「川柳スパイラル」第11号(編集発行人・小池正博)、特集は「連句特集 この付合を語る」、小池正博は「編集後記」で、


 川柳と連句は私にとって車の両輪、鳥の両翼のようなものだが、今まで截然と区別し活動してきた。今回はあえて両者をミックスしてみたが、結果はいかがだったろうか。

 連句実作として小津夜景さんとの両吟歌仙、上田真而子さんご参加の非懐紙の二巻を選んだ。歌仙は現代連句の基準となる形式、非懐紙は橋閒石の創始で、歌仙形式を超克する可能性をもった形式である。


と記している。ブログタイトルにしたのは、「【この付合を語る】浅沼璞」のもの。


初詣おくへ進むと明るい墓地     田島健一

 いづる人魂まるめたる餅      鴇田智哉

メスカルはぶよぶよの沈んでゐたる 宮本佳世乃

       オン座六句「あたたかな」の巻

           (「オルガン」二十一号)

 全六連のオン座六句(福田若之捌)の第五連冒頭である。さながらドローン撮影したかのような飛躍的連想〔飛躰(とびてい)〕の打越。それをうけて初詣→餅、墓地→人魂と細かな物付〔四手付(よつでづけ)〕をしたのが前句。これはナンセンス〔無心所着(むしんしょじゃく)〕体のクローズアップで、それに暗示法〔抜け〕を駆使したのが付句である。「ぶよぶよ」はメスカルの沈殿物とも、はたボトルに入れるという芋虫ともとれる。前者なら人魂を、後者なら餅を、それぞれ「ぶよぶよ」と〔抜け風〕に表現しているのだろう。この両義性が〈三句の転じ〉を演出しているのは間違いない。(「ぶよぶよ」の「ぶよ」の部分はおどり字だが、は愚生のパソでは出ないので・・)。


 とあった。他に、石田柊馬の【同人作品評】に、「川柳の作句法、その多様性は個々の川柳人の人間性に繋がっているのだが、これが只今、あまりにも虚弱で、嘆きの声も無い」とあるのは、川柳にかぎらず、俳壇において、なお・・、というところでもあろうか。ともあれ、同人の一人一句を以下に挙げておこう。


  一人で肩組んで歩こ          湊 圭伍(圭史改め)

  とどこおる水の世界の側にいて    清水かおり

  拘置所を透けるあらゆるプロティン   川合大祐

  団欒の蘖に巣作りする燕        飯島章友

  滑舌の悪さは地球温暖化        浪越靖政

  一夫多妻か一切合切かで揉める     兵頭全郎

  壊滅の序曲をかけて除幕式       小池正博

  失神かぐうたらなのか蹴ってみて    一戸涼子

  点で待て一歩たりとも(笑うなよ)   石田柊馬

  回転をしながら月を待ってみる     畑 美樹

  眼と鼻は展望台に置いてきた      悠とし子



     撮影・鈴木純一「芥子一粒また来るときの印にする」↑

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