「俳壇」3月号↑
「俳壇」3月号(本阿弥書店)の巻頭エッセイは、仁平勝「文語と口語の交差点」である。いつもながら,読みやすく説得力がある。まず冒頭に、
俳句は、文語で作る人と、口語で作る人がいる。ようは五七五という音数律が大事なのであって、この韻文(定型詩)は文語でも口語でも成り立つ。五七五は文語の定型詩だと主張する人もいるが、蕉門の惟前は、〈きりぎりすさあとらまえたはあとんだ〉のような口語の句を得意としていたし、その主張にはなんの根拠もない。文語か口語かは、個人の好み(あるいは結社の方針)で決めればいいことだ。私はどっちでも作ります。
とあった。見開きページの短いエッセイだから、立ち読みでも、図書館ででも、直接当たられたい。ここでは、結びの部分を引用しておきたい。
また、文語派の俳人の中には、主格の助詞「が」は口語だと思い込んで、主格の助詞をなんでも「の」にする人がいる。でも、「が」は文語でも使います。蕉門の野坡に〈長松が親の名で来る御慶哉〉の句があるし、何より文語の模範である源氏物語で、「若紫」に「雀の子を犬君(いぬき)が逃がしつる」という用例がある。まだ子供の紫の上が、光源氏に初めて会ったとき話す言葉だ(有名な場面ですよ)。ちなみに藤原俊成の「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」という名ゼリフがあるけれど、「が」を使わざる俳人も「遺恨の事」です。
とあった。ここからは、同誌本年1月号から開始された連載、秋尾敏「俳句史を見直す」に、少し触れておくが、やがて一本に纏められるに違いない。資料を丹念にたどっての労作になると思われる。とにかく、これまでの定説を覆し、また補完する営為であろう。文中の小見出しを拾っていくだけでも、興味深い。まずは、「一〈俳句〉の出自」については、現在3月号まで続いている(小見出しの通し番号は付されているが、(3)が重複している)。
(1)〈俳句〉は子規以前からある/(2)句集『夜たゝ鳥』の〈俳句〉/(3)〈俳句〉と言い始めたのは其角?/(3)〈近代俳句〉を発明したのは岡野伊平/(4)仮名垣魯文の〈俳句〉/(5)三森幹雄の〈俳句〉/(6)明治二十年代の前半の〈俳句〉/(7)正岡子規の〈俳句)
と、現在(3月号)までは、ここまで。通覧し、引用は少々になるが、以下に記しておきたい。まず冒頭は、
近代俳句史は、根底から書き直される必要がある。
特に、その出発点となる明治期の俳句史については、平成時代にいくつかの重要な発見があったにも関わらず、それらをまとめた書物がないため、未だに昭和時代の資料が参照されたままになっている。そろそろ新しい資料に基づいた俳句史が記述されねばならない。
まず、教林盟社が神道系の宗教団体であったことの意味が理解されていない。(中略)
また、明倫講社は、それをより自発的に推進しようとした人々の団体である。彼らが芭蕉を神としたのは、寺院の枠組みを外し、神道による宗教の再編を企画した初期明治政府の意図に関わってのことである。分かり易く言えば、廃仏毀釈の潮流の中で、俳壇が再編されていったのである。
その根源にあるのは国学で、特に平田篤胤による復古神道の影響は大きい。
と書き出されている。また,「(3)〈近代俳句〉を発明したのは岡野伊平」では、
明治十年代、〈俳句〉という用語は、東京の活字メディアに広がり、それが全国に波及していく。
まず、明治九年十月に岡野伊平によって東京市京橋区弓町の開新社から創刊された「風雅新聞」(後に「風雅新誌」、「滑稽風雅新誌」と改名)の二号以降に〈俳句〉と題された句が出現する。三号に載る〈俳句〉を読んでみよう。
世(よ)のはじめ思(おも)はるゝなり霧(きり)の海(うみ) 東京 佳峰園等栽(中略)
つまり、当時の俳壇の中心人物であり、この人たちが〈俳句〉という用語を認知していたということは重要である。
これらの句に〈俳句〉というタイトルを付けたのは岡野伊平であろう。『国学者伝記集成続編』(國本出版社・昭和10年)によれば、伊平は文政八年(一八二五)、江戸の町家に生まれ、幼少から読書を好み、長じて浅草庵三代黒川春村に学んで浅草庵五世となった狂歌師だという。(中略)
七七の短句を付けることを想定しない「一吟の発句」を〈俳句〉と呼んだのは、岡野伊平と仮名垣魯文であった。とすれば、〈近代俳句〉は、彼ら二人の創始ということになるだろう。
そして、「(6)明治二十年代の〈俳句〉」では、
明治二十年代に入ると、郵便を利用し、全国に購読者を広げた雑誌が、〈俳句〉という用語を用い始める。
「頴才雑誌」(頴才新誌社)は、明治十年に創刊された日本初の子ども向け投稿雑誌だが、その第五一五号(明治20年5月14日)から〈俳句〉欄が設けられている。(中略)
〈滑稽〉という観点からも、子規の〈俳句〉は、俳文芸の本質を探究する復古運動であった。子規一門は、形だけの風雅を求め、〈滑稽〉を忘れて月並調になった俳文芸に、いきいきとした精神の運動を取り戻そうとしたのである。
と結ばれている。次月号からの展開も楽しみだ。以下は、文中、「頴才新誌」入選句より、
卯のはなや雪と見まかふ垣つゝき 東京 魯堂
ふねてたく烟からひくかすみかな 常陸 桂里
むかしめく今めく雛のすかたかな 埼玉 海造
のとかさや雲につかゆるおきの船 丹後 竹陰
芽夢野うのき「つかれたな水仙の白さも傾きも」↑
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