北大路翼著『加藤楸邨の百句』(ふらんす堂)、ふらんす堂の「・・・の百句」シリーズのひとつだが、右ページに句が置かれ、左ページに句の鑑賞・解説が置かれるという基本レイアウトは変わらないが、本シリーズの他の書の多くは、句中の「季語」・「無季」について、わざわざ注記されているが、さすがに北大路翼は、そんなささいな?ことには頓着せず、いきなり句の本題に切り込んで述べている。そこが面白く、良い。もっとも、それに同意するか否かは、読者次第であるが、例えば(記述はすべて、歴史的仮名遣い)、
木の葉ふりやまずいそぐなよいそぐなよ 『起伏』昭和23年
警句のやうな句は広がりに乏しく成功しづらい。この句も「いそぐなよいそぐなよ」に同様の懸念があるが、独特のリズム感が標語臭さを解消することに成功してゐる。そして何よりも、誰が何に対して「いそぐな」と呼びかけてゐるか具体的に書かれてゐないところが魅力的である。
僕はかつて、男女の性交シーンを書くときにこの句を挿入したことがある。まあ、さういふことではないと思ひますが。
また、巻末の「難解だとは言ふけれど」には、
楸邨の句は難解だと言はれることが多い。
僕は初学の頃から「寒雷」系の先輩方の話を聞いて育つたおかげもあり、楸邨の句がわかりづらいと思つたことがほとんどない。今回、解説を書くにあたり、その思ひがますます強くなつてゐる。わざと恣意的な解説を付した句もあるが、句の内容については、さほど外れてはゐないはずだ。
難解さとは句意のわかりづらさではない、いはゆる俳句的情緒、俳句的手法からの距離感が難解だと呼ばれてしまふ。(中略)
霧にひらいてもののはじめの穴ひとつ
楸邨の観念で一番好きな句は文句なくこの句だ。女陰をもののはじめの穴ととらへる凄さはいつ読んでも感嘆の声を上げてしまふ。何度も言ふが、観念のオリジナリティと観念的であるということは違ふのだ。(中略)
十二月八日の霜の屋根幾万
一方でこんな「モノ」だけの俳句もある。こちらの句の方がよほど解釈が「難解」だと思ふがどうだらうか。観念は作者に即して考へればさほど難解なものがないといふのが僕の持論だ。俳句の解釈はできる限り作者に寄り添ふべきだと思ふ。(以下略)
とあった。北大路翼の師は今井聖、その師は加藤楸邨、つまり、加藤楸邨の孫弟子である(もっとも、加藤穂高「両親について」によると、楸邨は先生と呼ばれることも、まして弟子を名乗ることさえ嫌っていたらしい)。愚生と楸邨の句との出会いは、『野哭』である。愚生の故郷山口市の古本屋で見つけて、500円で買った。当時、大塚にあった俳句専門の古書店・文献書院に売り(店主には、他にも『野哭』はあるんだけど・・・、と言われながら、それよりは高く買っていただいた。いわゆるセドリになったのです。以来、今日までお付き合いをさせていただいている)、生活費の足しにしたのだ。50年以上前のことだ。
死ねば野分生きてゐしかば争へり 『野哭』 昭和21年
ともあれ、本書中より、楸邨の句をいくつか、以下に挙げておこう。
鰯雲人に告ぐべきことならず 『寒雷』昭和12年以後
つひに戦死一匹の蟻ゆけどゆけど 『颱風眼』昭和14年
雪を噛み火夫機関車の火を守る 『穂高』昭和15年
生きてあれ冬の北斗の柄の下に 『雪後の天』昭和17年
三月十六日(午前警報あり)
冴えかへるもののひとつに夜の鼻 『火の記憶』昭和20年
落葉松はいつめざめても雪ふりをり 『山脈』昭和26年
原爆図
原爆図中口あくわれも口あく寒 『まぼろしの鹿』昭和28年
おぼろ夜のかたまりとしてものおもふ 『吹越』昭和48年
百代の過客しんがりに猫の子も 『雪起し』昭和54年
ないものねだり
押す糞が消えて糞ころがしつまづく 『鶴(こふ)と煙突』昭和55年刊
天の川わたるお多福豆一列 『怒濤』昭和59年
蘭の香がつなぐ手術の前と後 『望岳』昭和61年
北大路翼(きたおおじ・つばさ) 1978年、神奈川県生まれ。
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