「鬣/TATEGAMI」第78号(鬣の会)、本号は、第19回「鬣TATEGAMI俳句賞」の発表である。森田廣『出雲、うちなるトポスⅡ』(霧工房)と大久保桂『鷹女ありて その「冒険的なる」頃』(ふらんす堂)の書籍に対して贈られている。その理由に、
(前略)このような森田の作品でありながら本格的に論じられることは少なかったように見える。それは「非在から立ち顕れる存在、表現に於ける存在の根源的な意識」に言及する森田の「緊張感に満ちた句群」を受容する力が現在の俳句に乏しいという状況を明らかにしているのかもしれない。(中略)
森田が言及する俳句を書くということに対する「根源的な意識」、また大久保が選んだ基本的な資料に即くという姿勢は、そのどちらも当たり前のことのように思えるが、実際には、いつなんどき、どのように手放してしまうか分からないことなのだ。つまり俳句に向き合う人間ならば何度でも自らに問うべきことなのである。(以下略)
鬣の会編集員会(文責・水野)
と記されていた。ともあれ、以下に、一人一句を挙げておきたい。
みたまみな彳ちつかれたる石の家 堀込 学
眼鏡にはゴーストがいていたからう 永井一時
泣きボクロのほうが兄さん山ぶどう 伊藤裕子
天秤の片方の乗る黒き雲 西平信義
宇宙軍今日はきっとカレーの日 永井貴美子
陸封の十二月どの国もどの国も 佐藤清美
おしくらまんじゅう居ない子に弾かるる 蕁 麻
冬桜約束のない待ち合わせ 青木澄江
死なぬ人一人も無くてクリスマス 堀越胡流
ダイアナロスか蘭ちゃんか春一番 樽見 博
シンバルの出番は一度年暮るる 中川伸一郎
秒針ニ振レル冷タイ 西躰かずよし
運という字の頼りなき日向ぼこ 大橋弘典
シーソーの空き待つてゐる十二月 吉野わとすん
カステラに蝶ふるさとのやうな街 外山一機
淡雪や猫のかたちに寝転べば 水野真由美
手かざしや天啓の百合開きたり 後藤貴子
村雨が西の木橋を越えてくる 丸山 巧
海(わた)つ神(み)や
若紫(わかむらさき)の
吾亦紅(われもかう) 林 桂
頭上(づじやう)
樹上(じゆじやう)に
気(き)に病(や)む猿(さる)は
木(き)を揉(も)みぬ 中里夏彦
霧の奥の
樹の
炎上を
見尽くせり 深代 響
温室の外は棄景にするさうな 九里順子
撮影・芽夢野うのき「穢れゆく花となるまえ花二片」↑
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