「We]第11号(We社)、特集は、編集発行人の一人・加藤知子句集『たかざれき』。メインは竹本仰「加藤知子句集『たかざれき』鑑賞」、小見出しの「3、劇場」では、句に即した鑑賞・解説が展開される。例えば、
鵜を抱いてわたし整う骨の冴え
痛んだ鵜の魂を抱きしめることによって一体化され自分を感じる、そんなカタルシスが成り立つ。究極にはこの詩人はここをめざしていると、筆者なりに思っている。
加藤知子の出発点を思っている。(中略)
海に降る風花ならば抱きしめる
ああ、石牟礼道子を抱きしめているなあと思う。
ニーチェに「深淵を覗き込むものは、また深淵に覗き込まれる」の名言があった。
だが、加藤さん、あなたの覗き込みたい深淵、まだ足りていないのでしょうね。
あらためて、常少女の詩人・加藤知子の道行きのここからの再出発に注目している。
と結ばれている。他には、多くの私信(手紙)が公開されている。ともあれ、本誌本号より、いくつか句を挙げておきたい(招待作家と、たぶん、愚生がどこかで知っている人になるだろうが・・)。
女神像崩れたあとの薔薇真青 高 鸞石
北方で混ざつてしまふとどと星 亀山鯖男
桜散る誰の指紋もつかぬまま 松永みよこ
泥くさき白鳥として愛国者 竹岡一郎
抗ガン剤の滴りおもちゃ箱匂い 竹本 仰
ため息ほどの愛で生姜をおろす夜 中山宙虫
寒雁の北の匂ひの風を呼ぶ 廣島佑亮
寒月光笑ひが受信できません 森さかえ
お父さんもお母さんも言葉あきのかぜ 男波弘志
歓喜してひとだま奮えみな椿 加藤知子
★閑話休題・・・鈴木比佐雄詩集『千年後のあなたへ――福島・広島・長崎・沖縄・アジアの水辺から』・・・
鈴木比佐雄詩集『千年後のあなたへ』(コールサック社)、著者「あとがきに代えて—福島・広島・長崎・沖縄の経験からなぜ学ばないのか」には、
十一冊目となる今回の詩集『千年後のあなたへ――広島・長崎・福島・沖縄・アジアの水辺から』については、既刊詩集『木いちご地図』、『日の跡』、『東アジアの疼き』の中の原爆や原発に関する詩篇やその後に書かれたそれらのテーマにした詩篇を集めて再編集してみた。この詩集の中で最も古いものは一九九五年の詩「桃源郷と核兵器」だが、南太平洋でフランスが核実験したことに対して感じたことが記されている。そのあたりから私は原爆と原発について自らの最も重要なテーマとして考え始めた。
とあり、ふと、愚生も当時、つまり、フランス領南太平洋のムルロア環礁で行われた核実験(1966~74年まで)について、前書付きで、次の句を発表したことを思い出したのだ。
フランス人形みな美しき核の風 恒行
余談はさておき、紙幅もないので、「元総理と現総理を鞭打ちたくなった」(初出・2020年十二月「コールサック」104号)の部分を以下に引用する。
1
二〇一一年のあの日から十年目が近づいてくる
新たな詩集と浜通りの文学史を記した評論集と
来春の「福島浜通りの震災・文学フォーラム」の打ち合わせで
南相馬市の詩「神隠しされた街」を書いた詩人に会うために
千葉県柏市から常磐自動車道に入り
一時間ほど車を走らせると茨城水戸市を越えて
まだ廃炉を断念しない東海第二原発のある東海村が見えてくる
二〇年程前の一九九年には東海原発で
ウランの核分裂が手作業で引き起こされた
二人の作業員がバケツでウランを取り扱っていて
一〇シーベルトで即死すると言われていたが
二〇シーベルト近くの青い光を浴びた作業員二人は
細胞が再生することなく内側から破壊されて
そのうちの大内久氏は八十三日間も苦しみ化け物のようになり
日本で初めての臨界事故で死んでいった (以下略)
この当時、愚生の友人は、現地に赴任したばかりで、その事故の対応に、日々昼夜をわかたず追われていた(過労死するのではないかとさえ思えた)。後に、それらの様々な状況も直接聞いた覚えがある。
鈴木比佐雄(すずき・ひさお) 1954年、東京都南千住生まれ。
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