「軸」3月号(軸俳句会)、表2の「俳人筆跡」は441回で滝春一の短冊「けむり吐く汽車にかゞやく春の富士」である。「鳴弦文庫藏」とあり、こうした墨蹟、古典籍の所蔵は、先代の「軸」主宰で、父であった河合凱夫時代からのものも多く含まれていようが、個人藏としては相当なものにちがない。現在、鳴弦文庫は、週に何回かは公開されているのではないだろうか。本号の巻頭のエッセイ「軸の光陰」は、「俳句の観点別評価」と題した興味深いものである。以下に、長くなるが引用する。
俳句は、さまざまな観点から評価することができる。
江戸時代からある伝統的な概念としては、次のようなものがある。それぞれ一行で解説できるようなものではないが、とりあえずの解説を付しておく。
風姿 芸術的な姿。
風情 思いの深さのある情趣。
本意 季語が共通項として持つ本来の意味。
取り合わせ 句中に置いた二つのものの関係性。
切れ字 中断や終止で表現を膨らませるための文字。
景 その句が見せる景色。
滑稽 日常的・常識的な見方を打ち壊す表現。
新奇 それまでになかった表現
近世の概念というのは、近代科学の概念のように論理体系の構造に置かれたものではないから、どこか漠然としていて、ペダンチックなところがある。しかし、それだけに揺らぎ深みがあって面白い。
一方、近現代俳句では。次のような概念もよく使われる。こちらは論理に裏打ちされている。
抒情性 感情表現の表出、伝達性。
韻律 音の響き。韻や連鎖。音数だけではない。
イメージ 句を構成する各語が作り出す心象。
伝達性 意図の伝わり易さ。
切れ 中断や終止で表現を膨らませる箇所。
異化表現 日常言語とは違う言葉の結びつき。
幻想性 見えぬはずのものが見えてくる感覚。
シュール 超現実的な実感。不思議。
ナンセンス 無意味であることのおもしろさ。
これらは比較的概念規定が明確なので、論理的に語りやすいが、その分、含蓄には劣るかもしれない。これらの概念の内実は江戸俳諧にもあった。ただ、そういう概念(言葉)が使われていなかったということである。
この二種類の概念のどちらかで俳句を語るかというこが、その人の見識であろう。混在していてもよいのだが、無自覚では困る。自分が今、何をしているかは分かっていなくてはならない。
と述べられている。 この上に、例として、今号の自身に作品評価を一覧表にして、各項目の採点を行い、一項目の上限5点で、その総合評価を一句ごとに出している。相当な努力と時間が必要だろう。因みにブログタイトルにした句「人類癒えよ銀河に年の豆を打つ」は、合計23点の最高点だった。ようするに、客観的な句の評価として、どこまで数字上にあらわせるか、ということだろう。だが、愚生が、自分の好みで、二番目に挙げようとした「磔刑の大義を空に囀れる」は18点で(5段階評価・総合満点は40点)、意外に低い。次に評価点の高い22点句は「野火激し雲は縁(へり)からほつれだす」は、愚生にとっては、一応できている句だが、これ以上でもこれ以下でもない、敢えて言うと、類想感ありの、ツマラナイ句のひとつである、ということになる。ことほどさように、客観的に納得するのもなかなか難しい。
(前略)しかし、この作業をするようになって、自分の選句力が高まっているように感じている。佳句の見落としが減った。俳句のさまざまな良さにも目が届くようになった。
優れた俳人は、直観力で選句する。直観力とは、句を読んだ瞬間に、どの項目で評価するかを決められるということである。1以下の項目と、3以上の項目が見えれば、他は考慮する必要はないのである。(以下略)
とも、述べられている。優れた俳人になりたいものである、と思う。ともあれ、本誌本号より、いくつかの句を挙げさせていただく。
鳥になるための杖あり木の芽時 秋尾 敏
二百十日上空にプテラノドン 島 洋子
三日月に引っかき傷のような雲 石井ひさ子
枯木立いちばん端の木が優し 中村武男
寒厳し鋸挽く音の虚空より 表 ひろ
消しゴムのかす春の灯の削り屑 赤羽根めぐみ
撮影・鈴木純一「まんさくの最後なんとなく過ぎる」↑
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