「俳諧旅団 月鳴」第2号(狐尽出版・月鳴会)、表紙絵は、安彦良和。じつに短い編集後記には、
新しいことをはじめようとすれば、それがたとえ良いことであろうとも、波風は立つものだ。/いいぞ。/風がなければ、船は進まないじゃないか。(亮)
とある。また、巻末に【俳まくら】(第23話~第56話)、2014年(平26)1月~翌年12月、著者 秋山狐哮(あきやま ここう)「日刊県民福井」(中日新聞系列)が、掲載されているが、ほとんどが、俳句にまつわるエッセイと句集評に費やされている。一回の分量は限られているので、長文になると、連載になっている。なかでも、注目したのは、「第25話 吉田透思朗」が3話あったこと。その1には、彼についての評論が書かれていないことを嘆き、
(前略)透思朗氏の第一句集は『仮面の群』であるが、第一句集から第二句集を出す十年の間に師と仰ぐ金子兜太に会い、「観念の具象化」という作句理念を獲得している。そのため、彼を探るのに第二句集『光るこけし』を読み解いていきたい。
鷹蒼く翔(た)つ春寒の洋酒棚 透思朗 (中略)
*注:吉田透思朗の吉は土に口
黄葉濃しかつて人間魚雷の日々 透思朗
透思朗は戦争を経験している。身長178センチ体重90キロの巨漢は、当時、自ら飛行予科練に志願した。あいにく視力が悪く飛行機には乗れなかったが、戦争が終わってみれば結果として良かったと思う。(以下略)
と記されている。愚生が知っているのは、「頂点」の同人だった吉田透思朗だが、今は、すでに「頂点」も無く、透思朗、兜太も鬼籍に入られている。他に三回分の紙面を割いているのは、『宇多喜代子集成』であった。ともあれ、以下にいくつかの句を挙げ、創刊号に寄せられた祝辞が、自筆のまま、写真で乗せられているので、それをいくつか再掲載しておこう。
黒田杏子↑石寒太↑
筑紫磐井↑
岸本尚毅↑
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