2021年3月28日日曜日

髙柳重信「目醒めがちなる/わが盡忠は/俳句かな」(『ワイズ出版 30周年記念目録』より)・・・

          


 『ワイズ出版 30周年記念目録』 (ワイズ出版)、ワイズ出版社主・岡田博は、かつて愚生の勤めていた弘栄堂書店で、新刊書・文芸書の担当だった。その人望から、長く労働組合の吉祥寺店支部長も務めていた。立命館大学の映画部に所属していたらしい。日本映画しか見なかった男だ。ある時、彼が関わっていた化粧品の通販の会社が赤字続きで、書店員を辞めて、その赤字会社を引き受けたが、それが、地域限定の新聞折り込み広告や商品の良さも手伝って、売り上げを伸ばした。そして、彼は、もとはと言えば、映画を作りたかったので、生まれた余剰の資金で、念願の映画を作り、かつ映画に重点を置いたワイズ出版を創業した。思えば、その初発の頃に、愚生は弘栄堂書店で出していた「俳句空間」の終刊が決定され、その折り、企画のまま埋もれていた幾つかの書籍を、彼に引き受けてもらったのだ。そして、最初に、愚生が関わったのは、中井英夫『定本・黒衣の短歌史』(1993年)の刊行だった。当時、中井英夫の秘書らしきことをしていた山内由紀人と二人で、本文下段の脚注多くを執筆した。巻末には中井英夫の特別インタビューが収録されている。その山内由紀人は、のちに、同社から『三島由紀夫の時間』(1998年刊)を上梓している。

 とはいえ愚生にとっては、何んと言っても高柳重信の『俳句の海で/「俳句研究」編集後記集’68・4~’83・8』(1995年刊)である。その帯の背に高柳重信自筆から採った「目醒めがちなる/わが盡忠は/俳句かな」が配されている。その帯は鈴木六林男が二つ返事で引き受けてくれた。もとはと言えば、重信3回忌の折の鈴木六林男の発案だったからだ。帯の表には、


 髙柳重信は「俳句研究」において、現代俳句の地平を切りひらくために編集の基本的姿勢を問いつづけた。広い視野。冴えた現象の分析。比類ない未来への洞察力。これら結晶としての「編集後記」は昭和俳句史を形成する。

「編集後記」は、職業としての編集者が想いを〈言葉〉に賭けた歴史である。その重みを本書によって知ることができる。


 とある。本書の元となった原稿は、高橋龍が一日三冊分を毎夜、筆者したものを使わせていただいた。あと一冊は、浅沼璞『可能性の連句』(1996年刊)である。そして、この目録には出ていないが、冨岡和秀句集『魔術の快楽』、中西ひろ美・書下ろし現代句集1『咲(さき)』である。いまさらながら思うのは、愚生の無力をいつもどなたかに助けていただいたことである。このワイズ出版目録は、総ての書影を刊行順に、帯をはずした形で、カラーで収録、第二章ではそれぞれの概要が記されている。30年間に約400冊以上を出版している。その間に、儲からなかった映画もいくつか製作したはずである。だから、初期のころには、愚生も二度ばかり、ボランティア、チョイ役で出演したこともある。映画の本が多くを占めているが、彼の好みの作家たちもかなりあるはずだ。例えば、荒木経惟、つげ忠男、北井一夫、和田誠などである。目録の奥付の上段に、岡田博は以下のように記していた。


 (前略)ちょうど昭和の時代が終わり、平成時代の道のりと重なった。映画に固執して、あえて時代に逆行するような映画本を目指したが、あらためて俯瞰して見ると、時代に通底しているような気もする。


 その岡田博、先日、偶然に電話をした折り返しに、病を得ているようであったが、一日も早い本復を祈っている。


   友よ

     我は

  片腕すでに

  鬼となりぬ      重信  (『俳句の海で』背表紙)



        芽夢野うのき「土筆タンポポ競うと鯨に喰われるよ」↑

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