児童七十四名の息か気嵐(けあらし)は↑
高野ムツオ『あの時』(朔出版)、写真は佐々木隆二。帯の惹句に、
心に響く/いのちのの俳句
大震災以後の100句を/自解と写真で綴る保存版!
あの時、なぜ俳句だったのか。東北に根ざし、自然本来の姿を通して
人間の生き方をみつめる/高野ムツオの世界
とある。また「あとがき」には、
一昨年、仙台文学館で「語り継ぐいのちの俳句」展が催されました。私のエッセイ集『語り継ぐいのちの俳句』所収の自句自解100句から二五句を選び、写真家の佐々木隆二さんが写真を組み合わせパネル展示したものです。自解は避けるのが俳句本来のありようですが、読みづらい句でも少しは理解してもらえる糸口になるかと、思い出すままに綴ったものが、「文字に見る震災資料展」の一つとして取り上げられ、開催にいたりました。
これをきっかけに、全国数か所で展示会を催すことができ、昨年の多賀城の展示会では新たに一〇作品が加わりました。(以下略)
とあった。一例だけ自句自解を以下に引用する。
春天より我らが生みし放射能 『萬の翅』平成二十三年
福島の原発事故のニュースが、夕刊の一面を大きく覆ったのは三月十五日あたりだったろうか。その衝撃は忘れられない。しかし、その時はどれほどの大事なのか、その真実は知る由もなかった。海外に脱出した人、沖縄に逃れた人もいた。命を守るためには、じつはそれが当時取るべき正しい選択だったと知ったのは、だいぶ後になってからである。もっとも、たとえ知ったとしても、その時は天を仰ぐ以外、何も手立てはなかったが。
以下にいくつか句を挙げておこう。
四肢へ地震(ない)ただ轟轟(ごうごう)と轟轟と ムツオ
膨れ這い捲(めく)れ攫(さら)えり大津波
すぐ消えるされど朝(あした)の春の虹
冬の波五体投地のきりもなし
この国にあり原子炉と放射能
揺れてこそ此の世の大地去年今年(こぞことし)
死者二万餅は焼かれて脹(ふく)れ出す
紅涙は誰にも見えず寒の雨
みちのくの闇の千年福寿草
人住めぬ町に七夕雨が降る
生者こそ行方不明や野のすみれ
高野ムツオ(たかの・むつお) 1947年、宮城県生まれ。
佐々木隆二(ささき・りゅうじ)1940年、宮城県生まれ。
芽夢野うのき「木蓮のわっと帽子脱ぐ日和」↑
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