「575」7号、「NS」2号(いずれも編集発行人・高橋修宏)、「NS」は、詩篇を収め、本田信次との二人誌という印象である。愚生は、誌は門外漢なので「575」についてのみ、引用しておきたい。エッセイの冒頭は、「豈」同人でもある打田峨者ん「だ。それは――Aug2020/Jan2021」、三枝桂子「『春と修羅』断想」、髙野公一「芭蕉・『軽み』へ」、そして、髙柳蕗子の『青じゃ青じゃー短歌の酵母Ⅲ』の変奏ともいうべき俳句版の松下カロ『青について」、今泉康弘「シジョンとムリオ」で、かつて、乾いた抒情と言った金時鐘と鈴木六林男の交流を描いている。巻尾には、六林男の孝行弟子・高橋修宏「六林男・断章十四 鉛筆肉体」、その中に、
墓標かなし青鉛筆をなめて書く 『荒天』
六林男の第一句集『荒天』(一九四九年)に収められた戦場俳句「海のない地図」の章。その終盤、「帰還」の前書きの直前に、この一句は置かれている。この「青鉛筆」は、戦死者の墓碑銘を記するものなのか。いや、それだけではあるまい。むしろ、それは厳しい検閲から逃れるように、自らの俳句を「頭の中に隠してきた」六林男の〈書く〉ための「青鉛筆」であったはずだ。なお本章には、「新戦場寒き鉛筆を尖らする」という句さえある。(中略)
この六林男の〈書く〉という行為を、早くから六林男俳句の主軸をなすものと注目しつづけてきた宗田安正は、戦場俳句以後も射程に収め、次のように指摘する。(中略)
この宗田に指摘において見落としてはならないのは、六林男の俳句を〈書く〉という行為の根底には、たえず「その状況(自然と社会)の中に身を置」きつづける、己れの肉体が横たわっていたことだ。予て〈書く〉=エクリチュールとは、尖筆によって銅版の上に版画のように刻みこまれた〈傷〉なのだと、くり返し語ったのはジャック・デリダであったが、六林男にとっての〈書く〉という身振りもまた。己れの肉体に刻みこまれた〈傷〉を確かめ、たえず呼び戻すことではなかったか。
永遠に孤りのごとし戦傷(きず)の痕 『雨の時代』
そして、万博会場にいる鈴木六林男が「突如として自らの〈肉体〉に起こる甘美な苦痛のような変調、つまり戦後の流行歌『上海帰りのリル』を思わず口ずさんでいる自身に気づく」シーンがある。余談になるが、愚生のとっての「上海帰りのリル」は攝津幸彦である。攝津幸彦は哀調を湛えて、「カラオケ」ではよくこの曲を歌った。だから、この歌を聞くと、また、自身で口ずさむときは、必ず攝津幸彦の面影がそこに纏いつくのである。ところで、話を元にもどそう。冒頭の打田峨者んのエッセイの締めくくりは、以下のよう記されている。
近未来の某日の夕べ。「懐かしい元の生活って何?」「スキンシップって?密着ってどういうコト?—もうぢき未来圏から”コロナ前(・)を知らない子共たち”がやって来る。
ポプラにまねぶ雪暮の底の待ち姿
石化満了》春《菊石の巻(まき)ゆるぶ
迫る春ヒトは眩(くら)りと光塵裡 峨者ん
ともあれ、本誌本号より、以下に一人一句を挙げておきたい。
風花や我がうろくずの相別れ 増田まさみ
勘弁の隙間に貝の息しろし 三枝桂子
妹の方が長身かきつばた 松下カロ
撮影・鈴木純一「一寸の蟲を救ふて春の雷」↑
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