2021年3月26日金曜日

有原雅香「手も足も組み換えゲノム蝌蚪孵(うま)る」(『鳩の居る庭』)・・・


   有原雅香第一句集『鳩の居る庭』(ふらんす堂)、鈴木明「序に代えて/手紙」には、


 この句集は、たぶん野の会としては最後の句集となる。ことに有原雅香は一昨年、「野の会賞」を受賞した。栄誉ある同人である。私としては、確りとした序文を書いて送り出したいところであったが、しかし昨年末からの疾病が本年に続き、正直体力が許さない。

 幸いにも、同人会長の岡田路光氏が適確優美な「跋」を書いてくれた。誠意あふれる正鵠を得た文章でそれは尽きている。あとは雅香氏への敬意の念だけを示したいと思う。


 とあった。その跋、岡田路光「雅で天真爛漫ちょっと硬骨」に、


 (前略)「詠句のテーマ」は実に広範囲に及んでいる。自然・事物詠の句も面白いが、本領は人間詠だと思う。句数が多いし中身も濃い。加えて硬派の社会詠の句もある。こうした詠句のテーマの多様性は、鈴木明主宰ひいては「野の会」の特色でもあるのだが、雅香氏はその中でも傑出している。(中略)

 それにしても、我々は良い時代を過ごしたと思う。ともに二十年を過ごした「野の会」も、主宰のご高齢と疾病のため、今年で活動を終えることとなった。たまたまこの会に入ることがなければ、境遇も性格も大きく異なる我ら両名が知り合うことはなかったし、まこと句集稿を通じて、その来し方にまで思いを馳せることはなかったろう。まこと俳句結社は、自由に自分を表現し、そのためのレトリックを磨く場であるべきだ。我々多様な弟子たちのために、こうした場を作り開放して下さった主宰に対して、改めて謝意を感じるばかりである。


 とむすばれている。思えば、序をしたためている鈴木明とは、現代俳句協会新人賞の選考委員として、初めてお会いし、意見をたたかわせていただいた。その折も、少し足が不自由であった様子で、車で往復されてた。そして、その後は、都内で開催された安井浩司を囲む会などでお会いした。愚生が、驚いたのは、高山れおな等、若い俳人たちの雑誌「クプラス」の創刊号の特集が鈴木明だったこと、当時の若い俳人たちにとって、興味を持てる俳人、面白味がある俳句、とうことであったろう。余談はこれくらいにして、、著者「あとがき」には、


  (前略)私の四十代五十代は書道関連の事々に多忙を極めた時期でもございました。海外や日本中を飛び回り、公募展や個展、後進の指導や新しい試みの数々等時間を惜しんで動き回っておりました。その様な中にあっても句会に参加して、先生にお会いし、句友と触れ合うことは至上の楽しみであり、折々の慰めだったと思います。

 母を亡くした時も悲しみは俳句を作ることで癒されました。その時に作った俳句は手書きの般若心経と共に、母の棺に入れて送ることも出来ました。

 今からの私は「老歳」と言う途方もない現実に向かおうとしております。

 どの様な時に遭遇致しましても何らかの俳句が出来、作り続けて行くのだろうと思っております。


 と記されている。集名に因む句は、


   鳩の居る普通の庭の日向ぼこ


であろう。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておきたい。


      神戸在住中阪神淡路大震災 

   破壊壊滅焼土見下し山凍(こご)ゆ        雅香

   天狗星アンタレスも居て君も居て 

              天狗星=大きな流れ星

   やはり淋しい素足のピエロ コアに蓋

   タゴールの詩(し)パラフィン紙に包む秋

   終戦忌赤い涙は描かれず

   班雪木喰の童子まろく笑む

   ヒルズ発情大夕焼けの真正面

   ナルシスト風な棒になってる彼五月

   知的喪失石に添い寝の蝶凍てる

   カウンターの椅子に秋色節下(ふしおろ)

               節下し=魚の五枚下し 

   八月のドラクロア絵の中は平和

   巻貝にゼフィロスその日の春の海

        ゼフィロス=ギリシャ邨羽の西風の神

   帰らざる日の暗澹へ花筏

   赤シャツの鶴髪老人サングラス

   被爆胎児羊水の中で見たピカドン

   少年は老功となり将狼(はたろう)となり 

   狐火は美しいらし未だ見ず

   銀鼠の爪牙滂沱の梅雨恐怖

      

 有原雅香(ありはら・がこう) 1944年、東京生まれ。


    撮影・芽夢野うのき「俳にまぎるる嬉しさみしさき桜かな」↑

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