分かろうとしない。前から順に読まない。退屈なとき、とても贅沢な気分のとき、なんだか泣きたいとき、ぱらっと何ページかを開く。すると、そこにある言葉が話しかけてくるだろう。
ともあれ、昨年来、国会前で「安倍を倒せ」のコールを句にした手柄は、集中の岡野泰輔のものである。「a/ki/no/ku/re」には、三橋敏雄の「あやまちはくりかへします秋の暮」が下敷きにあるのは言うまでもないだろう。
同じ「船団」の会員でこちらは、年齢を加えた素直な句が、それなりに清潔感をもっている平きみえ句集『父の手』(象の森書房)、こちらには、坪内稔典は以下のように紹介している。
当年75歳のおばあさんだが、ねんてん塾そだちの俳人である。(中略)
父の手の
草の匂いと
昼寝かな
こんな句を作る。どうです?
おもしろいでしょ。
まったく違うように見える二つの句集も、「船団」の特質?である、何らかの感懐を句の中で言っておいて季語を斡旋してしまうという意味では、その表現手法には差異がない。ともあれ、以下に数句ずつを挙げておこう。
冷奴それでも神はゐないと言ふ 泰輔
戻ればふとしぐれ忌の橋の上
やくかいな人とふたりに春の川
万物の最後尾にてかぎろへり
日脚伸ぶひとりで立ちし赤ん坊 きみえ
鳴らしても鳴らぬ草笛草に置く
最後には母の話や夏料理
蚊をつれて来るフレアースカートの人
三日後に落ちて来るはず冬の月
寒満月焦げる癖ある片手鍋
大井恒行さま 拙句をとりあげていただきましてありがとうございました。
返信削除「冷奴おれでも神は~」の句、正しくは「冷奴それでも神は~」です。
妙に意味が通じてしまうところがおかしいですが。
申し訳ありません。句を訂正いたします。
返信削除大井 拝