2016年7月12日火曜日
矢上新八「老蝶のなんや艶めく水の上」(「ジャム・セッション」第9号)・・・
「ジャム・セッション」(非売品)は江里昭彦が年2回編集・発行する個人誌である。当然といえば当然だが、掲載される記事や写真を含めて、それらすべてに江里昭彦の在り様が伺える。今号のゲストは、かつて1970年ころの坪内稔典らの「日時計」,のちに澤好摩らの「天敵」に所属した矢上新八の大阪弁俳句である。また本誌が他に見られない特色といえば、各号に必ず俳句作品と散文が収載されている江里昭彦と、彼が京都府立医大に勤務していた頃に、当時の学生であり、面識のあった中川智正である。死刑囚である中川智正は「私をとりまく世界について」を連載していて、さまざまな制約が予想されるなかで、オウム真理教に関わる自身のことを真摯に記している。貴重である。
ダライ・ラマと会い、チベット亡命政府の元宗教大臣だった人の説法について述べた部分を以下に引用する。
私たちは宿の一室に集まってその人の話を聞きました。弟子は三十人ほどで、麻原氏もその場にいました。元宗教大臣は英語で話し、弟子のJさんが日本語へ通訳を担当しました。元宗教大臣が話した内容には、以下のような一節がありました。「仏教は、それを信じる者に四つのものを与える。最初はピース(心の平安)である。次はプロスぺリティ(経済的繁栄)である。それからパワー(政治的な権力)だ。そして仏教が与える最後のものはフォース(軍事力)である」。私にも分かる英語でした。Jさんの誤訳ではありません。
(中略)
オウム真理教は金儲けや権力欲だけのために活動していた、と言う人が沢山います。一方、私は以前、ザイールの援助について書き、今回もダライ・ラマへの百万ドルを書きました。別に教団がいいことをしていた、と書きたい訳ではありません。要するに、教団は独自の論理のもとに自ら「正しい」と思うことを追求していたのです。教団が世俗の中の成功だけを夢見ていたとしたら、あのような事件は起こさなかったと思います。
以下に同号の掲載作品を数句挙げておきたい。
どないにもならん鴉や花曇り 矢上新八
霞草散らざるものは窄(すぼ)むのみ 中川智正
肺炎の肺を遺影に実南天
明眸の乾布摩擦の友いずこ 江里昭彦
きょう誰の忌日 背なかに聴診器
一匹死に春の金魚の買ひ足され 嵯峨根鈴子
神のどの手もふさがつて色鳥来
*閑話休題・・・
愚生は先般、前立腺がんの疑いで検査入院したのだが、昨日の診察で、生検の結果は白だった。当面は経過観察のみで一応ホッとしている。悪運はまだ残っているようである。前にも書いたが、想定外だったのは麻酔による後遺症?の頭痛とめまい(なる人は5%、それなりに珍しいらしい)。ほとんど良くなったが、今日の太極拳の会は大事をとって休むことにした。
御心配いただいた方々へのご報告です。いよいよ暑さも増してきましたこのごろ、諸兄姉・皆様のご自愛、ご健勝を祈念いたします。
サルスベリ↑
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