2016年8月3日水曜日

菅章江「花火待つ無傷の空と海と人」(『水仙』)・・・



管章江(かん・あきえ)第二句集『水仙』(文學の森)は遺句集である。昭和10年、大分県生まれ、享年79。大牧広はその序文で最初に「港」大森句会に現れたときは、ご主人の介護で目の離せない時期だったと述べ、しばらくして、作者自身も闘病生活に入ったと知り、

 そして、今年四月に菅章江さんの訃報に接したのである。私と同世代と思っていたので、胸に深くおどろきと、さみしさが生れて、しばらく消えることはなかった。

とその死を惜しんでいる。

    茎立やけなげな笑顔目に残り     大牧 広

図らずも残された夫は、謝辞のなかで、

 妻は俳句が好きでした。
 好き、というより、妻にとって俳句は、まさに生活の一部でした。(中略)
 日中はいつも忙しく働いており、まとまった時間が取れなかったのですが、仕事の合間に手を止めてちょこちょこと手帳に句を記し、また働いては句を書く、ということを繰り返していました。頭の中で言葉を繰りながら、仕事をしていたのかもしれません。
 日常生活の中で生まれた言葉を、妻は俳句にしていました。

巻末の長女・川上ひろみによると、遺品の中からは、

 俳句があってよかった
 夫がいてよかった
 娘がいてくれてよかった

のメモが出てきたという。 こうして遺句集が編まれるのは、誰にとっても子の上ない僥倖というべきだろう。
幾つかの句を以下に挙げておきたい。

   いまや空し不戦の誓ひ敗戦忌       章江
   蒲公英やたたかふ時は素手がある
   揚雲雀かなしき性を組み込まれ
   狂ひたる時計を合はす建国日
   草泊りせし日は遥か父よ母よ
   確定申告余命三日をつひやして
   干蒲団ふはり心臓眠るなよ
   毒茸死ぬほど笑ひしこともなし
   夫の手のつめたしひたすら懐かしき
   眠られぬ夜は眠らずに青葉潮
   天瓜粉夫を大福餅にしてしまふ
   見し夢を娘と話す春の川



                                                            
                                                       オオケタデ↑
   


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